瞑想ホーム
セラピストもヒーラーも知らない おなか編 
こんにちは みのりです
今日は、普段から瞑想で疑問に思ってる事があったので、今回タイに瞑想研修に
出かけた際に 私の先生、ボブさんに聞いてみました

ボブがよく「ハートを開く」って言葉を使います「ハートで観る」とか
「ハートで感じる」とか・・確かにそれはとても大切なことだと思うんですね 

瞑想をしていると「考えること」と「感じること」は 全然、違うことが 
とてもよく理解できます ハートを開いて 感じる能力を育てるのは
大切だなって思います

ただ 私の素朴な疑問は 瞑想者の多くはハートを開く事は とても簡単なんです
ビジャ・マントラや 加速マントラで規則正しく瞑想して、日常で感じる事を
大切にしていれば自然に開きますから 実際にハートが開いている人は 
ごろごろいます

(フルフィルメント瞑想を知らない人の為に話しておくと 何も瞑想は
ハートだけを開くのではありません、魂の中にスシュムナという空間が
あって、チャクラがあります。そこを「空」のエネルギーが通過するので、
ハートだけを開くことは不可能です。すべてのチャクラや物理的な肉体 
魂の肉体、神経系統、すべてのレベルに「空」は作用していきます)

比較的 簡単に開く「ハート」 それよりもっと大切なのは
私は「腹」を開く事じゃないか?って 感じていました

日本には「腹を据える」って言葉がありますけど、腹はエゴのセンターと
言われていて ハートのように大切に扱われてないような? 
ないがしろにされているような感じがあります。

ハートが比較的 開いている人 こういった人は とても感じる能力に
長けていて いっしょに話していても さわやかで心地良いのですが、
いざ行動するとなると 深い自分の本音のようなものと繋がってないので
ハートで感じる表面的なノリだけで動いている感じが ある人もいます。

生体的に見た時のエネルギーが大雑把に言えば ▽逆三角形  
これでは感じることは出来ても、それを行動して欲しいものを取りに行き 
結果を出すというような 肝心なことが苦手だったりします

だからこんなタイプの人には「ハートを開いて」とは言わないで、
「日常において ハートで感じたことを 消化して・・ 
とにかく落として・・」って話を 私はよくしています

反対にハートは全然、開いていないけど、それでも横隔膜から下に
エネルギーがズコ〜ンと足まで抜けているような人。
生体的に見た時のエネルギーが大雑把に △三角形 

こんな人が瞑想受けに来ると 瞑想の感想は「良く判らない、何も感じない」
と言い、感じることは苦手ですが、その言葉とは裏腹に行動して欲しいものを
取りに行き、結果を出す事が とても上手だったりします
こんなタイプの人には「ハートを開いていこうね!」と言います

両者のこの違いは対照的で面白く ハートを開きならがも腹も開かないと
意味がないと 私は 感じていたのです

私の経験上 物事がうまく行く時は、マインドがあれこれ言っている事に
従うよりもハートに従う時でした というか、最近は、マインドがあれこれ言っても 
ハートが最終的には勝つ って ことが解かるようになったので、
昔よりも迷わずハートに従うことが多くなりましたね 
迷うだけ時間の無駄だってことが解かったから(笑)

ハートに従う これは重要 けれども、私の場合はハートで感じて 
もっと深いところからやってくる「静寂」によって勝手に手足が動くような感じが
あって このゆるぎない衝動がある時、必ず物事がうまくいきました

表面的なハートのノリだけではない 深い衝動は ハートから来ているとは
思えなくて、私の感覚では腹が据わっているという感覚に近いような感じが
あったので 自分としては腹が据わってないとハートが開きハートに従って
いるつもりでも物事はうまくいかない といった感じを経験上 感じていました

それで、「腹」についてボブさんはどう思っているのかを質問してみたのです
ボブさん曰く、「腹が据わる」について、こんなコメントをもらいました

結局、英語圏の国の人には 日本語で一般的に使われている「腹を据える」
「腹からもの言う」「腹黒い」など 「腹」にぴったり該当する言葉がなく、
そのような考え方の 土台が ないそうです

私 個人的には ボディワークやボディサイコセラピーに親しんできたので、
「腹」というのは深い本音がねむる領域だし、腸に関しては深い生命の
衝動が起こってくる領域として結構 重要に捉えていましたので
「腹」って言葉が無いってのも びっくりしました 英語ではHARA 
となるそうです

肉体的に見た場合は 腹とハートを分断しているものが横隔膜です
ここは肉体の中でも とても かたい筋肉があるところで、
ボブさんいわく、ここを横に切断したとしたら・・・まるで曼荼羅の
ように肉体・魂の記憶のすべてが きれいに整列して埋まっているそうです

実際にリグレッションワークなどをすると、多くの人の 腹が固くて、
自分の真実に感じていることを閉じ込めている または、 全く自分の
真実が感じられない 自分がどうしたいのか わからない空虚の
どちらかってパターンだそうです

多くの人が魂は私たちの肉体の中に入っていると思っているけど、実際には
痛みが大きすぎて 肉体の後方に出ている場合の方が ほとんどなのだそうです

フルフィルメント瞑想ではマントラにヤントラが加わることによって、
私たちの居場所をハートの中心につくるのですね
この肉体のハートの位置が大きな意識の入り口になり
それをどんどん拡げたものが 肉体では 腹 と表現できるそうです

では、結局 腹(ハートの深いところ)を育てるには
どうしたらいいのかって話しですが、瞑想においては、肉体である
おなかに焦点を合わせることはしません ここは エゴのセンターでも
あるから、それを超えて 腹 を拡げる必要があるからですね

結局 ハートを拡げて瞑想の中で「空」の深いところへ落ちていく
ことが(日本語で言うところの)腹をひらく事につながるって話でした

瞑想中に多くの人が自分の肉体を見つけようと思っても見つけられない
体験をしていると思いますが、これは幽体離脱ではありません。

どんどん自分のハートの内側に入っていくのだけど、結局 意識が
肉体を超えて大きく拡大しているから肉体がみつからないのですね

そんな体験を繰り返し、日常に戻った時に、まるでハートが
開いているのではなくて、大きく拡がった意識が まるで
ハートではないように(腹のように、あるいはもっと違った感覚に)
感じるのだそうです

私が瞑想続けていて良かったと感じることは多々ありますが、
その1つに、自分のハートの深い感覚とつながなって
(今、このコラム上ではそれを腹と表現してますが)
表現することが出来るようになった事だと思います

昔は自分がハートの深いところで何を感じているのか、
またそれを表現すること(日本語の 腹からものを言う ってこと)も
出来ませんでした「ハートの深いところで感じていることを表現する」
これを、日常に少しずつ 使って表現していく、深い静寂とも共に
行動を起こす こんな経験を日常の中に取り入れてみて下さいね


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