| 瞑想 「鏡」編 |
今日のお話は はっきり言って、自慢話と のろけ話です。
「瞑想続けたら こんな事になるのか! 悔しいっ!」って思う方は どうか、スルーして下さいね。
最近、生徒さんの中から、鏡の話題が 多く出ました。
人の態度や行為 それは 自分を投影しているから、 そこから 自分を観る って考え方ですね。
マインドは 世界を映し出す鏡です。 もしも マインドが歪んでいたり、曇っていると、 その鏡を通して、世界を観ます。
瞑想によって、認識の歪みが取れていく時、 世界は、瞑想を始める前とは、全く違ったように 観えてきます。
ただ、私達の 周囲には 理解に苦しむような 困ったちゃんや ダメっとさんが 大勢いるのも確かです。
それを「自分の鏡か?投影か?」と観だすと、 マインドが働き しんどくなります。 そして、働く割には マインドでは 成果が出ません。
そんな時は、鏡について 難しく考えない事です。
とんでもない 親やパートナーや友達に遭遇した時。
今、一緒に居るって事実は、過去に どちらかが 決別ではなく、愛を取った 歴史があるわけです。
それは 魂の時 なのかもしれません。 愛を取ったから、今 そばに居るんです。
この「困ったちゃんに 愛を取った自分」と観る時、
自分の中の 大きな包容力に気づきます。 「自分は凄い!何という包容力だ!」と観ます。
すると 相手を鏡として反射した 自分の素晴らしさに 焦点が 当たりますね。これが鏡です。
私のパートナーは 普通(以下?)の人間です(笑)
性格的に長所もあれば、短所もあります。 最低で最悪。と思える部分も沢山あります。
皆さんの 身近に居る方も そうじゃないでしょうか? やっぱり 自分の鏡なんですね。
けれども 二人の関係の中で、この最低、最悪に対して、 上手にかわしたり、バランスをとったり、おだてたり、 折れたり、甘えたり、包みこんだりしながらも
困難を乗り越えてきている訳です。 どちらかが 愛を取っているのです。
瞑想も 16年目になりますが、最近、ふと 気づいたのですが、 私という存在は、瞑想で開花していく質。
愛、豊かさ、慈愛(英知)知性、包容力、バランス感覚、直観力、 長期的な視野 などなど すべてが開花して ビカビカに輝く宝石だと 感じたのですね。
自分の事を「この女 凄い!」と 思わず 思ってしまったんです。(スゲ〜 自慢♪)
そしたら、ある時、人を褒めた事がない パートナーが、
「おまえ 大した 女やな・・」と つぶやいたんです。(スゲ〜 のろけ♪)
思わず「うん 自分でもそう思う」と 即答していました。 (またしても スゲ〜自慢♪)
私が 惚れているのは 誰か? パートナーではありません。
パートナーを鏡として、反射で輝く 自分自身に 心底 惚れています。
自分が宝石だと気づいてない 原石の時、 自分の反射として、周囲の人に ビカビカに輝く宝石で あってくれる事を 切望します。(理想が 高くなるって事です)
けれども 自分が 宝石になる時、相手が原石でも その石ころに 反射して ビカビカに 輝く宝石になれるのです。
だから 相手は どうでもいいですよ〜。
瞑想は 自分という原石に 輝く角度で、 カットを 加えていくようなものだと思います。
宝石って、ちょっと角度を変えるだけで 輝きます。
カットが多いほど、どの側面でも 輝きます。
━━━━━━━ 編 集 後 記 ━━━━━━━
タイでは お土産を買う暇が なかった。 そこで 妙案を思いつき、自分の首に 金色のリボンを巻いて、
「タイのおみやげだよ〜♪」と玄関で 出迎えてみました(笑)
「汚い暑い 近寄るな!」といつも通り、 ダメ出し されましたけどね〜。
人は 誠実な人、真面目な人を パートナーに求めますが、 人間関係が 上手くいくのは、真面目じゃない事。 深刻じゃない事。だったりしますね。遊びが大切。 これも人間界の不思議。
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セラピストもヒーラーも 知らない
すべての人が求める 「空」 の情報
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