雑念も出せない瞑想はどうかしてるぜ!

川崎にて
こんにちは
瞑想みのりです。

6月タラの伝授&瞑想会はあと1席になりました。
まだ解説が追いついておりませんが、
7月くらいにはUPできると思います。

今日は初歩的な瞑想のお話です。
タラは、特に「空」が動く質(シャクティ)を
育てていきますので、
これを理解しておかないと、飛ばされてしまいます(笑)
人によっては嵐のような体験が長く続きます。
今日はこの嵐の意味を理解しておきましょう。

瞑想中の雑念についてです。

私たちは勝手に瞑想中の体験に、
善悪を持ち込んでしまいます。

その中の一番大きいものは、
瞑想中の雑念(思考が沢山、出てくる事)を
「悪」だと扱う事です。

勝手に私たちが良い瞑想だと思い込んでいる体験は、
静かで心地よく、雑念のない瞑想ですね。
これを「良い瞑想」「善なる瞑想」と思い込んでいると、

ひとたび、雑念だらけで、心地悪い体験が続くと、
「瞑想がちゃんとできてない」
「空」を経験できていないと、
素人判断をしてしまうのです。

結果的には、この体験が続く時、
瞑想ができてないと素人判断が入り、
せっかくつかんだ「空」の体験を捨ててしまう
(瞑想を辞めてしまう)のです。

あ〜もったいないですね。

理論的に何が起きているかを理解しておきましょう。

瞑想中の「良い瞑想」と私たちが勝手に判断してるもの。

心地よくて、雑念がなくて、ずっと留まっていたいと思う体験。
主観で、深い瞑想と感じる体験です。

多くの人がこの体験を求めます。
私もこの体験の方がそりゃ好きですよ。
皆さん、好きに決まってます。

この体験は、心地よい至福感に包まれますが、
起きていることは、
「空」の中で意識が拡大している体験です。
主に、意識の拡大が起きていますが、
根深いストレスの解放という意味では、
そんなに起きていません。

この心地よい体験が続いた後は、
今度は、意識が拡がった分だけ、
また新しく、
根深いストレスを扱う事が出来るようになります。
ちょうど、一つの部屋が綺麗に掃除されて、
ホッと一息ついた、
そしたら、次の知らない部屋に入ると、
ゴミだらけで
また掃除を始めるような感じです。

その時の体験が、雑念だらけで心地悪い、
いてもたってもいられない
浅いと感じる瞑想の体験です。
悪い瞑想と思い込んでる体験です。
浅いと感じるのは私たちの主観であり、
本当はこの時も、ELM瞑想(フルフィルメント瞑想)では、
「空」をちゃんと経験しています。

根深いストレスが、
瞑想中の雑念に乗っかって出ていくのです。

この雑念だらけの体験は、
意識の拡大はそんなに起きていませんが、
主に根深いストレスを取り去る作業をしています。

だから、周期的に、意識の拡大。
そして、根深いストレスを取り去る。
この体験が交互に起きてくるはずです。
これは、何日周期とか具体的な事は言えません。
人それぞれですからね。

雑念だらけの体験が続く時は、やはり、心地悪いです。
けれどもそれは悪ではありませんし、
瞑想がちゃんと出来てない訳でもありません。

「あっ!今、根深いストレスが、去っていこうとしているんだ!」
そんな気持ちで瞑想を続けてくださいね。
雑念は、抵抗しないで、垂れ流しが一番、
スムーズなのです。

悪の判断をしてると、苦しくなります。
抵抗してる事だから。
タラはこの体験が、今までに経験した事がないような
嵐のような体験になります。

瞑想を長く続けている人は、
もう気づいてるかもしれませんが、
現実が大きく変化するのは、
実は・・雑念の体験が続いた後なのです。
雑念の体験が続いた後の日常に目を向けてください。
本当に何かが去っています。
何か大きなストレスを手放しています。

 

だから、私としては、
雑念も出せないような瞑想の方が、
どうかしてる!と思うのですね(笑)
それは、どこにもパワーがない事を
意味していますから。

瞑想中の体験なんてどうでもよくて、
瞑想は何のためにしているのかと言えば、
瞑想してない時間
(日常生活、睡眠の質、仕事中や家族、友達と過ごす時間)を、
摩擦なくスムーズに過ごす為にしています。
1日に朝夕30分の瞑想をするならば、
残りの23時間の質を変える事が出来ます。
これが瞑想の意義です。

タラの意味は、
「渡る者」という意味があります。
ストレスだらけの現実世界を
「サムサラの河を渡る」と
表現しますが、タラは、
荒れ狂う河に橋をかけて渡ります。

 

サイモン&ガーファンクルの
「明日にかける橋」
という名曲がありますが、
昔から大好きでした。
これ、タラの事だなと思って、
よく聴いていました。

最近は、サイモン&ガーファンクルよりも
プレスリーが歌う
「明日にかける橋」をよく聴いています。
プレスリーが、すごくパワフルで、
今頃、はまってしまいました。

果物の桃を見てもタラに似てるなと思います。
(どんな例えだよ!余計わかんなくなるだろ!)

うまく言えないけれど、タラはシャクティの化身で、
シャクティというのは、色気でもあるからです。
色気にまつわる色んな事が起きてきます。
これもまた追々、書いていきますね。

タラは「渡る者」
泥だらけのサムサラの河に、頑丈な橋をかけて渡ります。
「空」は瞑想中だけにありません。
現象の中に嵐のように登場します。この嵐が、
やがて、知性を持つ触手に変化していきますので、
五感覚が、神のような精妙な知覚に変化していきます。
それがタラです。

今日も熱く語ってしまいましたが・・・
とにかく、楽しいし、多くの瞑想ファンが
一番好きなテクニックにあげるのがタラです。
私も愛してやまないタラですね。

6月から、楽しくまいりましょう!

瞑想みのり