悟った人を見分ける方法があるとしたら?3

今日もこの胡散臭いシリーズの
第3弾でいってみよう(笑)

まず前回のおさらいを少し・・
本当の悟りの定義と条件は、
根深いストレスが一定量、
解放されている事と、
「空」の直接経験と、その無限の中で、
目覚めた意識が永続的に拡大し、
人間の知覚に変化が起きている事。

この2つが、必須の条件であり、
悟りの定義です。

私は、もう1つ挙げるとしたら、
何らかの人間関係がある事です。
特に、何でも話せるパートナーや、
親しい友人は、自分が悟っていることを
検証する時に、重要になってきます。
(これもまた追々、書きますね)

まず、
自分の悟りの定義を確認しておきましょう。
定義を変えたとたん
瞑想の「空」の経験を長く続けている人達の中には
「私、悟っていたのか!」と、
気づく人が出てくると思うのです。

皆さん、
知らない間に漠然と伝え聞いた覚醒体験が、
悟りの定義になっていたりします。

これは悟りを妨げる、
一番のウ◯コ定義なので、
それを先に捨てておきましょう。
(今、ゴミ箱にポイよ!)

定義を変えておかないと、
何が問題なのかというと、
仮に、自分が悟りを経験しているにもかかわらず、
覚醒体験じゃないからという理由だけで・・
「今の体験は気のせいかな・・?」
と、見過ごして、
悟りと結びつけて
検証出来ず、それ以上、
目覚めた能力を伸ばせず、
認識力が育たないからです。

私は、瞑想歴が3年目位の頃には、
知覚があきらかに変化しており、
夜寝ている時に、全てが目覚めて、
知覚が透けて通る経験が、起きていました。
5感覚の中では、
視覚が一番に目覚めたように思います。

目覚めた視覚は、大人の場合は、
目覚めても特に困る事はありません。
(子供は注意が必要です)

でも、この体験を、悟り(意識の目覚め)とは、
当時は、全く結びつけていませんでした。
何故ならば、私は、どこかで漠然と、
ダーマ・メガ・サマディのような奇抜な体験や、
覚醒体験が起きることが、
悟りなのだろうと定義をしていたからです。

これが、
定義の違いから来るスルー(見逃し)の怖さです。

以前、目覚めた視覚の体験を書きましたが、
これが1つであれば「気のせいかな?」
で終わったのですが、年月とともに、
見えることは、あたりまえの自分の仕様に
変わっていきました。

だから、
この目覚めが起きてから付き合った
パートナーには、一番最初に、
真っ先に、普通の人と知覚が違う事を、
伝えるようにしています。

「私に、伝えたい事があったら、
家にいない時でも、
心の中で強く思ってくれたら、
全部、聴いてるから心の中で
思えばいいんだよ」と
伝えていました。
で・・本当に聴いています。

これは、
パートナーや親しい間柄の人だと、
悟りの検証ができるので、
とてもいい訓練になります。

何故、パートナーに、
事前に伝えるのかといえば、
悟り(目覚め)って・・
「直感が鋭い」
どころの話ではないのです。

目覚めた意識が、透けて通り、
そのままに見てるし(視覚)
そのままに聞いている(聴覚)のです。

かりに浮気でもしたら、
相手の女性の顔と、
よく着る服装、性格の特徴まで、
見えてしまう確信がありました。
(みたくもないけど 
ありのままに見えてしまう)
万が一、こんなものが見えたら、
さすがに私も凹むかもしれません。

だから、それを避けるために、
先に相手に、自分の取扱説明書を
伝えておくのです。

実際に、
浮気される事はなかったと思います。
私が選んで付き合う人ですから、
信頼してますし、
そういう絆じゃないのですね。
特別な大切な人だから。

二人の間で、色々、
この不思議な知覚の検証ができました。
でもこの時も、
悟りと結びつけていませんでした。

これが、悟りなのだ(意識の目覚め)と
認めはじめたのは、ここ数年の事です。

一番、悟りのわかりやすい表現があるとしたら、
私の感覚では、

自分が青虫だと思っていたらチョウチョで、
地面を這うことはもう出来ないことに気づくこと
(知覚が変化すると元に戻らないから)
だから、高いところは怖いとは言えない。
人生はまだまだ続くから、怖いならば、
慣れるしかない。
これが、一番悟りを表現した時の 
近い感じなのです。
(ドラマチックじゃなくてすいません)

前回、
悟りというのは、再現性がある 目覚めた状態で、
明日、誰かに頼まれたら即、証明する
ことができるようなものだと書きました。

なので、この話をしておきましょう。
(ちなみに・・瞑想歴が長い人は遊びで、
パートナーや親しい友達と試してみてください)

どうやって目覚めた意識を証明するかといえば、
私ならば、睡眠中に(ここが一番目覚めているので)
心の中で相手が、強く思った事を聴いていますので、

もしも誰かに「悟りの意識状態を証明してよ!」
と言われたら、

「私に、口に出してないけど思ってる事を訴える感じで、
何か思って下さい。
それは昼でも夜でも時間は問いません。
一晩寝たら、聴いてますから、聴いた事を
メールで送りますので、メールアドレス教えて下さい」
と伝えますかね?
そして、本当に聴いてメールを送れます。

目覚めた聴覚は、目覚めた視覚よりも、
少し目覚めが高度です。
視覚は、あまり傷つきませんが、
聴覚は、傷つく事も多いのです。
(笑える事も多いけど)

 

だから、ハートが柔軟で強くないと、
悟ることが出来ません。(これ重要)
だから、ある一定量の癒しが起きてる事が
悟り(意識の目覚め)の条件に入っている事は、
理に叶っているのです。

実際に、瞑想を長く続けている人は、
ハートは、柔軟で、とても強いですよね。

日本の悟りの伝統(禅寺など)でも、
なぜ、男女が一緒に悟りを目指さないのか?
男だけ集まっていたり、女は尼寺で、
通常、男女が分けられていますよね。
これも、悟り(意識の目覚め)と
関係しています。

大きな意味がある事も自分が、
悟り(意識の目覚め)を理解してから、
腑に落ちました。

また、私は、幼い子供の瞑想は、
あまりおすすめしていません。
瞑想してる親は、子供が小さい時から、
瞑想すれば、
早く悟って、意識の目覚めが
得れるだろうと、能力開発の目的で、
早く瞑想をさせたがりますが、

それは、悟り(意識の目覚め)の
具体的な状況を、
親が理解していないからです。
悟りは、ハートが強くて、
柔軟な大人がたしなむものですね。

これもまたどこかで、
お話していきましょう。

長くなりましたが、
悟り(意識の目覚め)の話は、
私が自分が経験している事を、
自分の言葉で伝えていく
ライフワークだと感じています。
色々、私の言葉で書きたいですね。

瞑想みのり
次回の瞑想伝授&瞑想会は3月13日(日)です。