瞑想とコオロギ

こんにちは 瞑想みのりです。
いよいよWBCは、マイアミですね。
マイアミはアメリカの中では大好きな街です。

ラテンの爽やかな風が流れる街。
現地で応援できる人は最高でしょうね。
私は、テレビで観戦します。
優勝して欲しいですね。

奈良にもカフェが・・

さてさて・・
最近、食べる事を色々書いてますけど、
今日は瞑想と食用コオロギの事、書いてみますね。

個人的には突っ込みどころ満載だと思ってます。
コオロギの養殖に、穀物が使われる・・って、
いやその穀物、食べたらいいだけやん!
って思うの私だけ?
人間はどこに行こうとしてるの?

給食にも入ってくるとなると・・
義務化ですよね。

そんなにタンパク質が、
必要なのかしら?

米は、糖質問題で消費量が減ってますけど、
結構、アミノ酸スコア高いし、
肉・魚・卵・大豆でも タンパク質が足りないなら、
米、食べておきたいわ。

SNSのスシロー動画問題でも、食べ物が溢れすぎて、
命を頂く感覚が薄れて、遊びになってるから
起きてると思うのですよ。
そんな時代にコロロギですか・・。

 

私は、好き嫌いは、ほとんどなくて、
唯一、食べられないものが、
昆虫と東北のホヤだけなのです。

瞑想では虫をどう捉えているかと言われたら、
カルマ(根深いストレス)の象徴です。

これは、確実な事で、
長期の瞑想をした時や、
サーマヴェーダのマントラ。
代表的なマントラで言えば、
加速のリジェネレーション・マントラを使った時、
これはとてもわかりやすいですが、

サーマヴェーダとは「空」のリグヴェーダが、
人間の為のマントラというお話をしましたが、
サーマヴェーダは「空」のリグヴェーダよりも深いところで、
人間の知覚を神の知覚のように変えていきます。
サーマの意味は、若返りのホルモンである
ソーマに由来しており、
私たちの細胞を細かく振動させて、先祖からまたがる
古い根深い記憶を解放していきます。
その初期には、多くの瞑想者が、夢の中で大量の虫を見ます。
虫にはゴミの解放の意味合いしかなく、
虫の夢の意味は、確実に多くの解放が起きてるよ。
それだけです。喜びたまえ!

 

虫に唯一、カルマ(ゴミ)以外の意味合いがあるとしたら、
カブトムシだけは、少し違う意味合いがありますね。

 

瞑想を教え始めた初期の頃の25年以上前の話ですが、
生徒さんで「透明な傘をさしてるところに、
カブトムシが飛んできて怖い・・」
と思った夢を見た人がいました。

 

これは、知性の夢ですが、この場合は、
カブトムシは男性性の象徴です。
この人が、自分の中の男性性を怖れている事、
傘が透明なのは、瞑想で認識がクリアーになり、
手に取るように自分の問題が見えるので、
対処ができるようになる未来を表しています。

人は表面上、瞑想を始める動機として、いろんな事を語ります。
ぐっすり休息を取りたいとか、モテるようになりたいとか、
お金がもっと欲しいとか、仕事の能率を上げたいとか、
もちろん、それもOKですし、叶うでしょう。

 

けれども、この人が瞑想を始めた本当の理由は、
表面上、何を語ったとしても、
間違いなく、自分の中のゴミだと思っている
男性性を自分の内側に取り入れて統合させたい!
これが魂の要望なのです。

私がこの夢を25年も前の話なのに覚えているのは、
「虫の夢にも、こんな珍しいケースがあるんだ・・」
と印象に残っており、覚えていたのです。

百獣の王が、ライオンであるように、
カブトムシだけは、
誰もが知っている 虫の王様なのですね。
でもやはり、カルマの象徴です。
この夢の場合は、
自分の男性性に対する認識の歪みとくもり
見せている訳ですからね。

 

余談になりますが・・
カマキリも若干、虫の中では、意味合いがあるかな?

男性でカマキリを極端に怖れる場合は
「女性が怖い」ですね。
「女性の犠牲になってしまうのではないか?」
こういう認識の歪みとくもりを、
その人が持っている事を表します。

この場合も、
その人の認識の歪みを教えているだけで、
カルマ(ゴミ)以外の意味合いはありません。

 

もしも瞑想してる人で、夢の中で、
カマキリを頻繁に見る人がいるのであれば、
自分の中の女性性を嫌わないでください。
自分の中の繊細な感性であったり、優しさであったり、
それを表現する事を嫌わないでください。
ご自分の感性に自信を持てないでいる事だと思います。
この場合も、統合が鍵になります。
統合できたら、それは、ご自分の創造性に変化するからです。

ここから逃げれば逃げるほど、現実の中では、
どんなに優しい素敵な人が登場しても、
ご自分の認識の歪みとくもりから、女性を見てしまうので、
カマキリのように、男を犠牲にして搾取する女性にしか、
見えないでしょう。付き合う女性を見誤ります。
(女性の場合は、男性を犠牲にしてしまうのではないか?
の記憶にまつわるカルマになり、女性性を発揮できない。
どちらも対処法は一緒になります)

コオロギ問題が、かなり脱線してしまいましたが、

日本人は「一寸の虫にも五分の魂」という言葉があるように、
虫にもなるべく殺生せずに、大切に扱う習慣がありますよね。
それは良い事ですね。

これは、ブッダが生きていた時代に、
人気を二分する有名なヨギがいて、
その教えが日本に入ってきてるからです。

これは、手塚治さんの漫画ブッダにも、
アリ1匹も殺さないで歩くヨギとして登場してます。
でも虫に人間と同じ魂があるかと言われたら、
やはり違うのです。
虫には人間の魂とは違う名称がついており、
瞑想者の中では、違うものと分類しています。

ブッダは、漫画の中でも、小鳥や動物の命については、
私たち人間と同じなのに・・でも虫は違う。
こんな話をしてる場面があります。

芸人さんが虫を食べる番組とか、
今売れてるアイドルの女の子で
昆虫食が、大好きな子いますけど、
ホント笑えないです。
ゴミを食べているようにしか見えないので、
こういう番組を見る度に、
「もっと自分を大切にして欲しい」と
思ってしまいます。

 

では今日も脱線して長くなってしまいましたが、
次回の瞑想会は、4月23日です。
10時の伝授は金タラで決定しています。
瞑想会は、どなたでも参加できます。

ランチは、今が旬なので、
コオロギ炊き込みご飯にしようかな?

いや ここは誰か突っ込んで〜〜(笑)

「大丈夫。粉末だから・・」って・・

「もぉ ええて〜」

一応、最後だけ、
昭和の女も令和を出してみた。

瞑想みのり

「肉がかたい・・」なら食うな!その1

人間はどこに向かうの?


最近は、自宅での料理が楽しいですね。

でもこれもタラ・タントラで起きてきてるのだろうなと思うので、
今日は長年愛用している料理道具の事などを書いておきます。

最近、外食してて考えさせられることが沢山ありました。
京都の焼き鳥屋の名店に入ったら・・
ビックリするくらい不味くなってる。
人気が出過ぎて、まぁ全部、外国産の肉と
タレも人工甘味料に変わっているんだよね。

大阪の居酒屋さんで注文したお料理は、
大きな砂肝のあえものでした。
切ってるのにこんなに大きな砂肝は、見た事がないです。
「私は一体何を食べさせられているのだろう?」(笑)
恐怖に近いものがありました。
外食の場合は、知らない間に、
それを安いね・・
サービスだねと思って食べていたりします。

肉がかたいと要求したら、薬品が柔らかくしてくれるし、
魚の骨が邪魔だと要求したら、薬品で骨を溶かしてくれる。

人はどこに向かおうとしてるのだろう?
「肉がかたい・・なら食うな!」(笑)

それがタラの教えだから。
(身体に合わないならば、
もう食べる必要がなくなってるの意味ね)

もちろん、感動したお店もありますよ。
金沢に旅行した時に、
民泊の近くの焼き鳥屋さんに入りました。
333って店。


若いカップルが切り盛りするオープンしたての店でした。
だから、なにひとつ期待せずに入りました。

地鶏が1品だけ小さい器にのってくる。
器の趣味が・・どれも素晴らしく
まず歳の若い二人がこの器を揃えたセンスに感動!
目利きってこういう事なんでしょうね。


盛り付けも、焼き鳥に塩の粒。
付け合わせの野菜はなし。
地鶏と器が調和してるから付け合わせの野菜は邪魔です。


ただの焼き鳥が、
美しい額縁(器)と絵画(地鶏)に見え、
地鶏に対する畏敬の念が、皿から感じられるのです。


「私たちは、この地鶏で勝負していきます!」
そんなお店の意図も伝わるし、

「命を頂くって、本来こういう事だったよね〜」なんて、
普段忘れている事を思い出させてくれるような店で、
旅先で、予想外の感動を頂きました。

後からわかったことですが、
若い二人は、
大阪のミシュランに掲載の居酒屋で修行してた事が判明。
(この大阪の居酒屋も美味しすぎてヤバいですが、ここでは省略)

余談が長くなりすぎた。

とにかく、普段は自宅でご飯ですよ!
「死ぬまで自分のご飯は自分で作って食べる」
こんな事を考えています。

「肉がかたい・・なら食うな!」が
タラの教えならば、
「自分で作れなくなったら死ね!」です(笑)
タラは、厳しいよ。自然だからね。

まぁ自分で作れなくなった時に、
外食に頼れば良いと思います。
上記にも挙げたように良い店って、
本当にあって、良い店は必ず残るから。
コロナ関係ないから。これも自然の流れだから。

自然淘汰や弱肉強食も残酷に見えるけど、
タラ・タントラから私が学んだ教えです。



長くなったので、
今日は料理の道具。鍋の紹介だけ。
私の長年の大のお気に入りです。

まず鍋の選ぶ基準は
「100歳になっても、自分の手で持てる重さのもの」です。
それでいえば、鉄のかわいい重い鍋は、私は買ってません。
老人になったら持てない。
これが基準で若い時に選んでいるから。


そうなると、私の中では、
フランス製のクリステル旧型一択です。
(グラフィットと呼ばれる鍋)


新型は若干重いですから、90歳では持てますけど、
100歳では少ししんどいかもです。だから旧型です。
一体、いつまで生きるつもりだよ!って感じですが、
大切な事ですね。

アルミの鍋は軽くていいですけど、それなら
京都の名店。有次さんの雪平鍋。
ただ、アルミとアルツハイマーとの因果関係を言われると、
分からないので、私個人的には、使ってないのです。

クリステルは、何より、フランス製というおしゃれさと、
機能性、軽さと取っ手がとれて、全部が重ねられる。

死ぬ時には孫に遺言とともに、一式譲れます(笑)
子供は現役で料理するから譲れませんが、
孫であれば大丈夫。
その時に、もらって困るダサい鍋ではダメなのです。
機能と芸術性が高くないと、あなたの宝物がゴミ箱行きです。

仮に、バカ孫&ダサ孫で価値がわからない場合は、
メルカリで売っても、
買った時と同じまたは値段が上がった状態で、売れます。
凄くないですか!

だから100円ショップの100円の鍋より実は安い(笑)
単に値段だけ見て高い安いではなくて、
「安物買いの銭失い」この言葉は、ある意味では正しかったりしますね。

ではまたつづく。

瞑想みのり