瞑想中の「痛み」について

瞑想中に 体の 一部分が 痛くなる事ってありますよね。
マントラ/ヤントラは 波動です。
この波が 振動して 魂の記憶や 感情を 動かしていきます。
そして もっと その波が 外側に拡がる時は
思考や信念体系 肉体の記憶 を 動かしていきます。
痛みも 色々ありますね。感情的な痛み 肉体的な痛み どちらも 
対処方法は 2通りあります。
(A)1つは 痛みに 焦点を当てるのではなく、静寂を探す。
または どこかに「流れ」がないか 探す。
流れているエネルギー(動く空)を 探します。

それを探していると 痛みに気持ちが 
向くよりも 空の流れ(これをシャクティといいます)に 乗って、
流れていきますので 痛みの事を 忘れてしまうか 
知らない間に 癒しの過程が 終了して 消えてしまいます。

(B)もう1つは 真逆の 対処方法 「痛みに 焦点を 当てる」です。
その痛みを もっと感じてみて その痛みの中に 入ってみる。
すると 痛みの解放の過程や 痛みの原因の感情を 感じて
時には 内なる目で観て 終了していきます。

セラピストの人は Bが 好みかなと 思います。
私も (B)が 好きですから。 どちらでも 構いませんが、
どちらも できるようになってて 下さいね。

なぜかと言えば 両方とも 利点があるからです。
心の中で起きる事は 外で起きる事 (日常)に 使えるからです。

利点を 書いておきましょうか。
Aの利点は 痛みは あるけれど そこに 焦点を当てません。
痛みとは関係ない 物事の 明るい面 良い面に 焦点を 合わせますね。
私たちの人生は 焦点を 合わせたものが 大きく見えて
それを 経験します。 だから Aが 出来るようになると
日常の中で 困難があろうが 嫌な状況があろうが
物事の明るい面を 観る事が 上手になりますね。
これ 使えるよ!

Bの利点は あえて 痛みに 焦点を 合わせますね。
痛みって 多くの人が 怖れてますが、 直視したなら 
消えるものが ほとんどです。
解放の過程で 起きていますからね。

「あんなに 怖れていたのに な~んだ たいした事なかった」
これが 理解できるようになってきます。

すると 世の中の 漠然と怖い と思ってる事、 
逃げてる事に 向き合える 強さ、度胸が 身につきますね。
そして 痛みの 癒される前や後の 過程を 知ってると 同じく、
人の痛みにも 共感できるし 寄り添えるのです。

これも 使えるよ!
あ~ 結局 瞑想は 「使えるな~」って おはなしでした。
やめてる人。 かわいそう  もったいない
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カルマ(ストレス)の 起源

今日は カルマの 起源の お話です
宇宙の創造のはじまりには永遠なる 自然の流れがありました。
これをダルマといいます。
神々の意識と 自然の流れは同じものです。
太陽があたたかく照るしくみと 太陽の神の意識は同じですし、
雨が降ったりやんだりするしくみと 雨の神の意識は 
同じというように 自然の流れにそって 流れていくのが神々です 。

神という言葉が 苦手な人は 宇宙の知性=神 
と解釈すると 解りやすいでしょう。

人間の魂は 空から出てきた 純粋な知性です。
人間と神の大きな違いは 何でしょうか?
神々には自由意志 がありません 一つの動きに流れはじめたら 
その道を変えることはできないのです。
太陽の神が「太陽やーめた 風の神になろう・・」
これをすると 自然の秩序が成り立たないからです。

それに対して、神の後に 創造された人間には
自由意志という 選択が与えらていました。
神々と違って ちょっと退いて、自由に自分の流れていく方向を
変えることが出来たのが 人間の魂です。

「公務員になろう」でも 気が変わった「お医者さんになろう」
こんな 自由意志によって方向を変える事が 可能なのです。

時のはじまりには すべてが 自然に流れていたので、
摩擦もなかったし また人間もハートが開いていたので、
何が正しいのか即座に 感じることが出来たので
自然の流れにそって 流れていました。

けれども、時が経つにつれて人間は
「これは正しい あれは間違ってる」というような 善悪の判断を 
つくり出しました。 そこに自由意志が加わった時に
「良いものはみよう、感じよう!!悪いものは無視しよう・・
感じないように避けちゃえ・・」というように
自然な流れを 止めていきました。
この流れが止められて、途中で途切れてしまった
凝縮されたエネルギーを「カルマ」といいます。

カルマという言葉は、 何か悪い行いをした罰とか、
罪の報いを受ける というようなニュアンスで 
間違って解釈されていますが、
単に永遠の流れが止められてしまったもの
100%経験することが出来なかった出来事や
感情の止まった動きを指します。

カルマに善も悪もありません。 自然な流れが一ヶ所 
止められると その瞬間から 宇宙のいたるところで
色々な流れを止める歯止めが できはじめました
「これが正しい 間違っている 感じたくない 無視したい」
このような判断を 人間はどんどん重ねてカルマが増えていきました。

このようにしてカルマが 凝縮されて密度が濃くなり
物質化したものが 私達が今、見ている 形ある現象界です。
またカルマが私達の魂の まわりに付着して 
密度が濃くなり 固まったものが 肉体のはじまりです。

カルマは 止められた動き100%経験することが 出来なかった出来事、
感情なので 「いつかは出たい・・経験したい」という衝動を持っています

その衝動は肉体を持って人生を生きている時に
日常の様々な 出来事を通じて 経験や感じることから 
解放されていきます。

100%経験されて感じる事でカルマが完結されるので それは 
自然なダルマの流れに戻っていきます ただ、
カルマはもともと、感じたくなかった 無視したものから 
成り立っているので、 それが日常の中で出来事として経験される時は
心地良いものとはいえないものが ほとんどで 苦痛や困難を伴います。

瞑想して「空」を直接、経験すると 「空」には永遠の自然の流れ
「ダルマ」の質があります それがカルマに力を与えて、
カルマが瞑想の中で経験されて完結します。
瞑想中のカルマが完結される場合は そのほとんどが「空」に一番 近いレベル 見たり感じたりする事が より解らない領域で解放されるので、
一番楽でスムーズに解放していくことが出来るのです

私たちは生まれて来る時に、
今世、ある一定量のカルマを解放すると決めて生まれてきます。
その一定量のカルマを 解放すれば 後は、自由に人生を楽しむことだけに
使います。

瞑想をすれば、自由が増える これは 瞑想をしている人は 
皆さん 経験しているでしょう。
仮に解放すると決めてきたカルマを 経験するのが
嫌だからという理由で無視しても
カルマには「必ず いつかは出たい・・経験したい」 という衝動があるので、次の世に、または、時期遅れて、 持ち越されて 
必ず いつかは経験され、解放されます。
一番早くて、安全で楽な方法で、 カルマを解放していくことが出来るのが、 「空」を体験していく瞑想なのです