ハートにしたがう1

これ永遠の愛の瞑想では よく使う言葉ですね。
私なりに ハートにしたがうについて、書いてみますね。

ハートにしたがうって、場合によっては、
とても単純明快で簡単な事もあります。

「いい感じがする」「心地よい感じがする」
こんな自分の気持ちに素直に従っていけば、
選んでいけます。単純にはね。

けれども、簡単なようで、
難しいな〜と思う事もあります。
自分が、この1年以上とんでもな〜く
悩みの中に 突入しちゃったから、特に難しいなと
感じる今日この頃。
色んな事が明確になってくるのに 
時の経過が必要なのでしょうね。

難しいのは・・・
マインドとハートの違いが
分からないからではありません。
これは 瞑想、長年してると分かるようになってきます。

「ハートにしたがう」この難しいのは、
瞑想で、心を深く掘るってことを行っていると、
ハートの意味する領域の幅が大きく拡がるって事なんです。

宇宙を構成する5つの要素は、深いところから順に、
空→風→火→水→地 となりますが、

心を深く掘れば掘るほど「ハートにしたがう」
この意味することは、
空・風・火・水・(地)この全部の領域に
またがってくるって事なんです。

多くの瞑想初期の方の「ハートにしたがう」は、
水の要素だけを指してます。
ここは感情や魂の領域。魂の持っているカルマの衝動から、
知っている感覚(知性)に近いものまで多岐にわたりますし、
喜怒哀楽の感情も水の要素です。

いいな(やだな)と感じる。 
好き(嫌い)と感じる。
心地よい、快(心地悪い、不快)と感じる。
こうしたい(したくない)と感じる。
ここに従うことで、ほぼ、間違いではないけれど、
このもっと先があるの。

ハートは感じる器官でもありますから、
色んな想いがそれぞれの領域にあり、
それを全部、感じ始めるのです。

反対に「マインドに従う」というのは、
水の要素よりも もっと浅い領域 
五つの要素で言えば 地の要素だけに基づいて、
物事の選択が起きてくるってことですね。

地の要素は 固まって動かない質 見えて、
分かりやすく、具体的な質ですね。

だからここに基づいて、選択が起きると、
安心が得られます。不動に見えるし(見えるだけ)
自分にも人にも 分かりやすいの。

たとえば、マインドの判断基準。
損か得か。
(権威や資格、学歴、職歴など)有るか無いか。
綺麗か汚いか。良いか悪いか。白か黒か。多いか少ないか。 
ここから出てくる選択は、全部が、具体的で分かりですね。

でも本当に心の深い部分で、その選択が
幸せなのかどうか、ハートが笑っているかどうかは、
分かりません。

また 分からなくても それを選択した 
ご本人が心を深く掘らない限りは、
自分の幸・不幸にすら気づかないからです。

だから、瞑想して、心を深く掘りはじめると、
「あれっ?」と気づく事が多々あるのです。

ワンネス

今日は 質問から

質問:
フルフィルメント瞑想で得られる「空」の体験とは、
ワンネス・自他一如の感覚と 同じなのですか?

お答え:
色々な意識の段階を経て この意識の状態を得る事は
可能でしょう。
「ワンネス」これを口にする人や 書物は 
多くありますが、実際に、体験してワンネスだと
いっているのかどうなのか 私には 疑問なんですね

本当に 体験に基づいてる場合は 
必ず その心の状態に基づく、行動が あるはずです。
(ここが 重要なんです)

素晴らしい事、話しても 人間の場合は 
この行動が一時的で 後は トホホな事が 多いのです。

愛だ すべては繋がってる ワンネスだ こんな経験して、
その時 隣人を抱きしめても 次の瞬間は忘れて 
分離が起きてる これが人間。

確かに「空」を体験すると 深いやすらぎや至福感があって、
そして 瞑想を終えて 目を見開いた 外側の事象の中にも
全く 同じような 感覚を 感じることがあります。

けれど、時間が 経過すると
マインドやエゴは相変わらず 「私は私、人は人」って
分離があります。これって 普通の人の感覚だと 思いますよ。

家や財産 所有してたり、仲良しの人と嫌いな人がいたり、
隣の国が 戦争してるの知らんぷりしたり 
全部 分離なんだけど・・

私たちは「空」から出てくる 想念や創造された事象を
マインドという 鏡に映してみています。
鏡に映しだされた思考や事象に集中して「自分とは何か」と
定義しているのがエゴです。

エゴが集中して 自分を定義する時、
自分だと定義しなかったものも 同時につくりだされます。 
それが、分離であって ワンネスの反対ですね。

瞑想して「空」を 直接体験すると「空」は 
想念や事象のすべてを 超える 何も無いものなので、
マインドは 何もないものを その鏡に 映しだします。

エゴも何かに 集中しようとしてみても
「空」という何もない無限の中で 集中することは結局、
空に溶けて、消えてしまうことになるのです。

そして瞑想から戻ってくると、またマインドやエゴは 
想念や事象をつかんで 何かに集中するのだけど、
「空」を体験して拡大しているので 以前ほどには
きつく 集中しないのです。

だから「空」の体験を 毎日 繰り返していれば、
日常においても 意識が拡がった状態で エゴが自分だと
定義したものと 自分でないと定義したものを 
隔てる分離が なくなってくる度合いが 増えます。

自分が 全ての中にある 意識状態を ワンネスと
定義されているのであれば、
この意識の状態に 到達するために マインドやエゴが
直接「空」を 体験しなければ 意識の集中から 
抜けることができないので ワンネス経験することは 
できないのですね。

「思い込みや 想像ではなく 本当に ワンネスに 
なれるかどうか 観てみましょうの行為」 
これが 瞑想です。

 

生きてる意味4

今、ずっと死について暗い話が続いてますけど、
私に起きてることは、瞑想してる 多くの生徒さん、
もしくは、空を沢山、持って生まれてきた発達した魂に、
必ず役に立つと思うから書いているのです。

菩薩 仏陀 これらは人間の意識の発達段階ですから、
必ず 人間は成長段階の過程で、ここを通るのです。
永遠の愛の瞑想は この段階を実際に通るのです。
「そこが凄い」と思うのです。

死にたいと話すときも 2通りあります。
この二つは 全然、違う認識に立った「死」なんです。

一つは、映画のフィルムの中の出来事を、
リアルだと思い込んで死にたくなる。
空がない時、辛く苦しい事があり選んでしまう
一般的な死は こちらです。

けれども、もう一つ 全然違う意味合いの死があります。

空(本当の自分)が大きくなり、人生は映画だったと気づく、
そのフィルムがつまらない時、どうして、
映画館を出てはいけないのかが、サッパリわからないのです。

この意識状態の場合は、街の映画館を出る事と死が 
全く同じなんです。

ヨギ達の悟りとは宇宙意識の状態です。
ここまで到達したら、ヨギは、死を選ぶことがあるのです。
もうどうでもいいからです。

昨日、悩んで 友達に相談したら、また洞察を得ました。
この辺りの意識状態になってくると これを理解してくれる 
友達や先生の存在がとても大事になってきますね。

これが宇宙意識ならば、もっとこの映画に興味が無くて、
悩まないはずなんですね。でも、私は悩んでいる。
だから、宇宙意識じゃなくて、
統一意識の波が来ているってことなんです。
「なるほどね〜」と思いました。
 
子供が欲しいって事も今の自分には大切な事に思えます。
だから、出来ないとして年月が経過したら
リッツカールトンのフィットネスクラブに入ろうと思ってるのも、
傍目には、なんと優雅な事かと思うかもしれませんが、
私には 全部が映画なんです。

これが 普通のスポーツクラブだったら、
自分は 映画館から出たほうがはやい(結果これが死)だから、
死なないために 自分が釘付けになるような映画として
必要だと思っているのです。

ドイツに行くのも 時間の経過を待つ間に、
死を選んでしまうと困るから、異国ドイツという
「うわぁ!」と ソファーから腰が浮いてくれるような
映像をコピペして 貼ってるようなものなのです。

実際には、帰国した途端、ドイツの事、
全てを忘れているでしょう。
私にとっては、夢を覚えてられないのと同じなのです。
死なないための 処世術と話すのはこんな事なのです。

友達が教えてくれたのは、今、起きてることの
解決策としては、この映画自体を全部、手放してみたら?
ということでした。

自分は必死に この映画を死なないために 
エゴが大事だと思うものすべてを かき集めている。
だから、全部、手放すんだって!

死んでしまうと思ってるのはエゴだから、
一度、死んだらいいと、アドヴァイスをもらいました。

確かに・・そうなんだよね〜
でも・・できるのかどうか? 
少し時間の経過が必要ですね。

 

生きてる意味3

この間、友達と話してて 気づきを得ました。
(今日の話は、瞑想歴が長い人しか 
理解が難しいでしょう。だからスルーして下さいね)

結局、今、私に起きてる感覚って、
宇宙意識が拡がったものでもあるんだなと・・。

意識の状態において、
4番目の 空の意識状態が どんどん定着したもの。
それが 5番目の宇宙意識。そして、6番目の神意識と
移行していきますが、これは線が引いてるわけでもなく、

私の体験としては、海に波が満ちたり引いたりするように、
5番・6番・5番・6番・5番・6番と繰り返しながら、
体験が増していき、7番目統一意識に向かうように思います。

悟りの道って、単純で、浅くはない深みがあります。
簡単に「悟った!」という人、悪いけど違うと思います。

宇宙意識が砂漠。神意識がパラダイス。 
そんな感じだとしたら、この砂漠のまっただ中に居る時は、
理論で理解してても しんどいです。

通常、人が死にたいと思う時、生きてる中で 
辛い苦しいことがあり、それを 現実だと思ってて 
耐えられなくて、死ぬのだと思います。
繰り広げられる映画の中に すっぽり自分が入ってしまい
ソファーに座っていないのです。

今、私に起きてることは 全然、違います。
映画だとはっきり気づいてて、
自分は、ソファーに座って観ている。
しかもソファーが、ふかふか(笑)すっぽりそこにのめり込んでる。

このストーリが 自分の見たい望みの映画と違ってきた場合。
自分の望み通りのストーリーにしてくか、
または、ストーリーがつまらないならば 劇場を出る。
これが死にあたりますね。

相当、面白い映画のストーリーじゃなければ、
映画館から出た方がいいかもな・・
そして、自分の望み通りのストーリーが上映されてる
映画館に入ってまた座ればいいかな(これが転生)こんな感じです。

映画ならば 見ててつまらない ならば 隣の劇場に入ろう。
これが出来ますよね。それと同じことが 死ななくても
できるはずなんですけど、今は、ソファーに深く座りすぎて、
ちょっとわからない感覚。

そんな事で、時の経過が少し必要ですね。

漠然と ずっと悩み中なんですけれど、
物質については、この状況になると 面白い事を発見しました。
また物欲の事 書いてみます。

 

生きてる意味2

(つづき)4月に旅行に行くことにしました。

何と優雅なことかと、思うかもしれませんが、
この世に生きてる意味や執着がない時期だから、
将来に向けての備え(貯蓄や未来の計画)
の意味が見出だせないの。

また、何か世の中の出来事や事象が、
この世に残る代償になってくれてて、
なんと旅行が、処世術(死なないため)
なんだということも 今では、よく理解できます。

こんな目線で世の中で起きてる
不可解なことに想いを馳せると・・
ギャンブルや酒、異性に狂ってしまったり、
奇行や迷惑行為に走るなど、

世の中の 元気な人からみると 
理解し難い不可解な行動・行為をする人たちも、
その前に 生きる意味が見出だせなくなってしまい、
この世に残るための、生きる手段として、
理解し難い不可解な行動・行為に走ることも
あるんだろうな〜と 想像が出来ます。

不可解な行動・行為も「生きようとしてる」
なのかもしれないという事なんです。
だから、暖かく見守ってあげて下さいね。

タラタントラも 特に赤5赤6黒7 
この辺りにシャクティが発達してくると、善悪や規律。

ここから物事をみていては、見えてこない世界を
タラは いつも見せてくれるように思います。

この出来事を通じて、
タラが 私に 色んな階層を垣間見る事をして欲しいと
伝えたいみたいですね。

私(皆さん)も、人間の世界にいます。
それ以外の世界 例えば

神様や天使の世界(天国の世界)
阿修羅の世界(神に戦いを挑む世界) 
地獄 
餓鬼(飢えや渇きの世界)
畜生(生死と隣合わせの 動物の世界)

これらは、人間の世界と全く別のところに
あると思っていますが、そうではないのだと、

瞑想という世界を通じて、
神様の世界を垣間見ることは楽しくて、
それを分かち合える生徒さんと過ごすことも、
私は、大好きです。

けれどもタラは、違う道も示しています。

人間の世界の中にいて、
まるで 地獄のごとく、餓鬼のごとく、阿修羅のごとく
生きてる人達が 沢山いて、そこに 気持ちを向けて欲しい。

タラとなって、自分の手足を、伸ばしていくことを
教えているのです。

もっと沢山の人たちが、瞑想始める時代がやってきます。
今でも、大勢の人が 瞑想を始めてると感じますけど・・
もっと、沢山の人が瞑想を始める時代がやってくるみたい。