瞑想と容姿4

(つづき)
では、内側の魂の輝きを 
どうしたら 外側に持ってこれるのか?

まず これはやめておこう・・
って行為を挙げておくと、

ご自分の本音や 
深い魂からくる要求を引っ込めて、
建前だけで生きることですね。

建前に気づいている場合は、いいのです。
問題になるのは、
建前をまるでご自分の本音かのように
生きてしまって気づかない人。

これは、肉体の容姿が、笑顔だろうが、
綺麗だろうが、それこそが建前であり、
魂は泣いている。

他には 被害者意識。
生育歴 環境 様々なストレスが 
誰にでもあるんです。

でも「かわいそうな私」にしか
焦点があたってない時、
「魂の輝きを外側に放つ」
という動きに至らないからです。
この場合は、容姿の変化も
緩やかになりますね。

それでは、
容姿の変化にまつわる、印象に残ってる話です。
瞑想してると 男女ともに 
容姿の変化は、当たり前です。
「永遠の愛の瞑想の基本」
「1日2回 30分の瞑想をして、
最低、5分以上かけて戻る」
この点では、生徒さん全員 外側の容姿は違っても、
瞑想の条件は同じなので、綺麗になるのも
ほぼ同じ度合いなのです。
(上記の例外は除かせてくださいね)
けれども、ある時、
私が「うわぁ〜」と、うなるくらい 
綺麗になった人がいました。 
瞑想会の手伝いで何度かお会いした 
関東の生徒さんでしたが、
瞑想会でシェアーをしたことも印象的でした。

彼女が話すには、
「自分はワガママで、
(うん。確かに・・ワガママな子だったよ(笑))
ずっと自分を満たす事しか考えてなかったんだけど、
ある時、やり方を変えてみようと思ったんだと。
人の役に立つように動いてみようとしたんだ」と・・。

そんな事で、
実際に私がしている瞑想会での雑用を 
「何かお手伝いできることはないですか?」と
頻繁に手伝に来ていました。
掃除したり、コップ洗ったり、食事の後片付けなど、
さりげなく・・でも全部。彼女だけがしていました。

簡単に言えば 彼女がしていたことは 
奉仕活動なのですが、
奉仕活動というのは、
「内側の輝きを 外の世界に対して放つこと」
なんだなと思いました。
「わがまま」の 次の段階に入ってるのです。

「わがまま」も 
私は「いいものだな〜」と思ってます。
「わがまま」とは「我が(自分)」
の要求を「探ろう」「満たそう」としてる段階でもあるから、
人生のある時期は「どんどんやれ!」と思います。

やってるうちに、
魂の何かの探求にぶち当たって、
充足するでしょうから。OKなの。
でも わがままだけで、終わらなかったところが、
彼女の成長なのだと思います。

しばらくして、瞑想会でお会いした時、
まぁ〜 匂い立つほど 綺麗でしたね。
普段から「外に向けて 放つ」 
この通路を意識して使っているから、
瞑想で生成される シャクティ(ソーマ)という
簡単には、艶や色気と呼ばれるものが、
同じハートの通路を通って出てくるのです。

サイババ(アフロヘアーで有名な聖人)の 
子供の時の話でも、近所の老人の水汲みを 
何時間もかけてしていたそうです。
この点で サイババは、他の子供と違ったそうです。
おそらく、サイババにとっては、「無理」ではなく、
自分の魂の輝きを「外に向けて放った」だけなのでしょう。

奉仕活動 善行。
「わがまま」という自分を満たす行為がある程度、
終わって充足した人達は、
今度は、奉仕に 移行してみてくださいね。
無理はしなくていいですから、
自然な奉仕・善行です。
摩擦のない、優しさや笑顔や、親切、
人の役に立つことです。

瞑想は 認識の歪みを破壊する1

知人が話した、驚愕の想い出話です。

幼稚園で、 
教室に絵が飾られることってありますよね?

知人は、幼稚園の時、
教室に自分の絵が飾られていた時、
「下手だから 見せしめにされている」
と・・ずっと、思っていたそうです。

普通は、自分の絵が飾られていたら、
「上手だから 飾られている」と 
思いますよね。
おそらく、先生たちの認識も 
上手だから飾ったのだと思いますよ。

知人は、ずっと虐待されていたので、
見せしめという発想しか無く、
金賞とは
「こんなひどい絵を描きやがって!」の
「罰」だと思っていたそうです。
「賞」として、素直に賞賛を受け取れなかった訳ですね。

認識の歪みとは、 
人が外から見たらオカシイと思える事なのですけど、
本人からしたら 正しいとしか見えようがない事なのです。

かけてる眼鏡が曇っていたり、歪んでいると 
世界が曇り、歪んで見えるけれど、
本人からしたら、「正しく見てる」としか
言いようがない事だからです。

ハートマントラは 
この宇宙を構成する 「創造・維持・破壊」 
という3つの要素。

この中の「破壊」を司るマントラです。
破壊とは 私達の中の 無知を破壊します。
認識の歪みを破壊します。

だから、瞑想をはじめて、しばらくして、
気づくことは、
自分がなんという 
歪んだ眼鏡 曇った眼鏡から、世界を見ていたか!
そしてその弊害で、
どれだけ素直に受け取れない愛や優しさが、世の中にあふれていたか!

このことに 驚愕するのです。

認識の歪みが 矯正されるまで 
眼鏡の曇がとれていくまで、
少し時間がかかります。

瞑想は毎日しましょう。 
曇った眼鏡から 
物事を見続けることがないように。
沢山の目の前にある愛や恵みを 
ちゃんと受け取れるように。

瞑想と容姿3

(つづきです)
前回とは逆の意味での、印象深い体験です。

ある時、
肉体的も精神的にも 沢山、問題を抱えていて、
おまけに、イケナイ趣味を 沢山持ってる。
イケナイおじさんが登場しました(笑)

ご自分でも人生が
「にっちもさっちもいかない」
と話していたけど、まさにその通りの人。

でも瞑想すると これまた、
例えようが無いくらい気持ちがいいから、
印象に残っちゃう。
このおじさんを超える人は、いないですね。

瞑想中の「空」の体験が気持ち良いのではなく、
この場合は 明らかに、この方の魂の個性に触れて
「気持ちいい」なんです。

「にっちもさっちもいかない」
こんな失礼な事 思った自分が恥ずかしい。
魂に触れるだけで 自分の心が
伸び伸びとして、洗われちゃって、
「一緒に瞑想させてくれてありがとう!」

そんな気持ちになりました。

この私が感じたものは 何なのだろう?
と不思議に思っていたら、

スピリチュアルの業界の人達から、
「こんな気持ちいい魂は 知らない」と
よ〜く言われるそうです。

内側と外側のギャップという意味でも 
ずば抜けてますから、印象に残る体験でした。

他にも 面白いケースの小話では、

ごっつい体格の男性。顔に怪我の傷跡。
思わず・・小指の有・無を確認してから、
瞑想伝授(笑)
でも実際は 菩薩のようにハートフル。

こういうギャップは、
ご本人の魂が熟練しており、
笑っているから、こちらも嬉しくなります。

反対に、
外見は満面の笑み。
でも・・内側の魂は 泣いている。

感情をためて泣いてるワケじゃない。
ご本人が「建前で生きていく」
と強く決断してるから、
物事を 浅い領域で、理解して終わってしまい、
魂は 本当の輝きを表現するチャンスを失う。
だから魂の悔し泣きなんです。

奇妙という意味で 印象に残ります。

結局、
内側の魂の輝きが隔たりなく 
外側に出せたらベストなんですよね。

では、内側の魂の輝きを 
どうしたら 外側に持ってこれるのか?
生徒さんから学んだ体験です。
(また 次回つづく)

瞑想と容姿2

瞑想習いに来る人の中にも
時に・・年月が経過しても
忘れることが出来ないような
印象深い人っているんですね。

何が印象に残るのか? 
それはやはり、実際の肉体の容姿と 
その人の魂の質感(中身の容姿)なのですね。
私は、魂というのは 中身の容姿だと思うのです。

だから「人は容姿じゃない」とはいえないわけよ(笑)
だって・・それしか覚えてない位、
印象深いわけですから。

そして、私、個人的には、中身の容姿は 
外見の容姿に反映してくると思うのですね。
これは前回、書きました。

ただ・・まぁ例外もあることが、 
人間界の不思議(笑)これは また追々。

今日は容姿にまつわる 印象深い瞑想の話です。

美男美女も 山ほど見てます。
だから、そこまで、印象には残りません。

けれども ある時、
極めて外見の容姿が美しい人が、
瞑想を受けに来たことがありました。

極めて・・なので、
やはり、印象に残ります。

そして、瞑想すると 
普通に皆さん魂は 美しいので、
そこまで印象に残らないのですが、

この人の場合は、
これまた極めて、魂が美しいような、
明らかに輝きや透明感が際立つというか、
何かが違うのです。

だから 印象に残りました。
この人の 外見の美しさは、
中身の反映であり、中身が外見に、
ちゃんと隔たりなく、反映されている。
そんな印象を持ちました。

と・・同時に・・
現実の世界では 何が起きているか?

この容姿のために 
人の目が外見に行き過ぎてしまって、
誰も 中身が ずば抜けて美しい事に 気づかないの!

美人ですね、カワイイですね。
とは言われてばかりいる事でしょう。

けれども「心が何と美しい人なの!」
とは言われないという残酷な現実。
際立っているのは中身なのに! です。

そんな事で、強く印象に残った体験でした。
次回は、逆のケース(つづく)