覚醒体験は一瞬の波。悟りとは違います。

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フルフィルメント瞑想では「覚醒」という言葉は 
ほとんど使いません。

同じく 「悟り」という言葉も 使わないのです。
巷で 悟り、覚醒体験と呼ばれているものが 
本当の悟りとは程遠いものだからです。

覚醒体験をして、それを「悟った」と 勘違いしてる人、
はたから見ると奇妙ですよね。

もしも、本当の悟りなら、
世間が、あなたをほっておきませんよ。
お釈迦様くらいに有名になってますよね?

その体験は素晴らしいものかもしれませんが、
ただの瞑想の一体験なんですね。

 

よく波打ち際を歩いている時、
予測もしない大きな波がやってきて、
足下が濡れてしまう事がありますね。
覚醒体験はそれに似ています。

 

次の瞬間には、水は引いて、
ただの普通の自分が存在するだけなのです。
だから覚醒体験を重要視しないのです。

 

それよりも少しずつ海水が満ちてきて、
いつも足下まで海水がせまってくる状態の方が、 
価値があります。

この事を 
「悟りはまるで泥棒のようにしのびよる」と
 表現しますが、ほんと奇抜さなんてそこには無いのです。

この状態に行きつくには毎日の瞑想が必要です。

海水が「空」だとしたら、海水が満潮状態の時、 
この状態が本当の悟りなんです。

悟りは、引く事のない 波です。
決して 大きな波ではありません。

多くの人が覚醒体験を求めるのを聴く時、
不思議な気持ちになります。

「どうしたら 宝くじで1等当たりますか?」と 
質問されているような不思議な感じがします。

短絡的な 思考がそこにあります。 
エゴとお子様は、奇抜なものが大好きなんですね。

「いや、地道に行動した方が・・宝くじより早くに行きつくかもよ??」
って 話なのですが、それが理解できない時、がっくりされますね。

日々の瞑想は、覚醒体験とは程遠いものです。
でもこれが一番の近道なんです。

瞑想の最初は自分の中のゴミ掃除をするようなものです。
この作業が、どこまでも続き、自分はゴミだらけ 
ここに気づく事から始まります。

目をそむけていたゴミに直面していく事ですね。
これが出来る人はゴミの下に埋もれている 
宝を沢山発見するでしょう。

覚醒体験ではなくて、日常の中にある宝を、
見つけだします。
覚醒体験にこだわる時、
必ず自分の人生で、どこか流れてないところがあります。
だから、一発挽回、大きな宝くじを狙いたいのです。

この世が楽しくて仕方ない 
この世に居たいな~と心底、思う時、
悟りが近くにあります。

なぜならば、
シャクティ(動く空)は、
ストレスを押し流して現象界に出て行き、
人生を創造していくからです。 
楽しいに 決まってるじゃないですか!

だから人生が 空周りしているとしたら・・・
まずは、瞑想をして、ゴミ出しから始める事です。

覚醒体験を求めて、瞑想を始めた人でも、どうでしょうか? 
瞑想が 続いている人は、人生が流れているのを感じませんか?

悟りや覚醒体験なんてどうでもよいと思っている程、
悟りが近づいていると、理解して下さいね。

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