この間、ネットで検索していたら、
「ビジネスの話をする人に瞑想を習ってはいけない」
こんな見出しを見つけました。
はぁ?
私、瞑想教えてますけど、
ビジネスの話、大好きなのですね。
私から言わせると、
「ビジネスの話ができない人に、
瞑想を習ってはいけない」
なのです。
瞑想のゴールは、
空を経験することではありません。
自己流や伝統に繋がらない瞑想では、
空を経験するだけで、20年30年かかります。
空を経験することが、
スタート地点になる瞑想でないと始まらないのです。
その上で、この空の経験が、
最終的には日常に反映すること、
これがゴールなのです。
「空が日常に反映する」とは、
簡単にいえば、世界のすべての中に、
愛を見つけることだと思うのですね。
世の中のビジネスの中に、
愛を見つけることが出来てない時点で、
その人の話してる瞑想の質や、
瞑想で起きてくる日常の認識力が浅いのです。
だからそんな人から習っちゃダメなの。
私達が大人になるまで無事に成長できたのは、
誰かのビジネスで生かされてきたのです。
普通には、両親が働いてくれた事、
社会が支えてくれた事ですね。
愛だよ!愛。
自分は稼いでないから、奉仕だからって、
誇るような事じゃないのです。
ただ、税金少ない。
愛が少ない人って意味ですよ。
自分は出してないけど、
ご近所のお父さんが働いて出してくれた税金やら、
企業の払った税金を受け取って、
生かされてきたのです。
誰かが、ビジネス=働くという行為に
出したエネルギーが、
義務教育の学校とか、公園、
歩道橋とかに形を変えているので、
ほんと 分かりにくいですけど・・
愛以外のなにものでもありません。
今、沢山のビジネスマンが、
瞑想の習慣を持っていますね。
素晴らしいことですね。
売上あげる為の瞑想でも、
身体を休めるための瞑想でも、
徹夜して働くための瞑想でも、
欲望まみれの瞑想でも、
何でもいいと思います。
だって、愛だもの。働くという愛。
特に、父親の愛・社会の愛を認識することなのです。