スピリチュアルの限界

大阪から奈良に引っ越して、
10ヶ月ほどが過ぎました。

私は奈良・学園前が
とても気に入ってます。
空気が綺麗で静かで、
食べ物が美味しいです。

一番、感動したのは、
雀以外の野鳥が普通に
空を飛んでいることです。

2ヶ月ほど前に、
びっくりする光景を目にしました。
カラスが、
美しい野鳥をくわえている姿でした。

野鳥が生活圏にいるのも
初めてならば、
カラスが野鳥を捕まえて
食べる姿を見たのも初めてで、
印象深い光景でした。

この光景が頭から離れずに、
「何で私は、こんな光景を見たのだろう?」と
ずっと、心に留めていました。

スピリチュアルでは
「考える」ことを捨てさせます。

瞑想の世界でもそうでした。
考えることは、
かっこ悪い事とされるのです。

このスピリチュアルの世界を
卒業して、分かることは、
この業界は、
人々にバカでいて欲しいのだな・・
という事です。

スピリチュアルリーダーや教祖に
依存してほしいのです。

そして、
スピリチュアルが好きというのは、
やはりどこかで
依存を求める人達なのかもしれませんね。

人生が神や教祖まかせ。
スピリチュアルリーダーまかせ。
親、社会、政治家まかせ。

「誰かまかせの人生」
になってないか?ということ。

依存的でいることで、
人生に起きてくる出来事を、
神や教祖、
スピリチュアルリーダーの責任。
親、社会、政治家の責任。
誰かの、何かの責任に出来るから
楽なのです。

瞑想が悪いとは思いません。
「空」の経験というのは、
スピリチュアルの最高峰だと思います。
今でも、オススメの瞑想があるとしたら、
フルフィルメント瞑想
(エターナルラブ瞑想)と、
答えるでしょう。
「空を直接経験する」という
真理があるからです。

でも、ここには限界というか、
続きがあるのです。

私の瞑想の先生が講義の中で
よくする話がありました。

「空を飛んでいる小鳥のように生きなさいと。
鳥は、起きてすぐ、食べ物の心配などしてないし、
真剣に考えてない。楽しそうに、
さえずりながら空を飛んでいる。
人間もそうあるべきだと」

この話は、
疲れている時に聴くと、
心が洗われる素敵な話ですが、

瞑想歴の長い私が聴くと
「ちょっと待った〜!」と 
いつも突っ込みたくなっていました。

瞑想で目指しているのは、
空で遊ぶ小鳥なのか?

意識体というものがあるとして、
その成長段階をカテゴリー分けすると
小鳥は、動物(畜生)に
分類される思うのですね。

人間に生まれてゴールが畜生?
本当に瞑想のゴールが
それで良いのだろうか?
そんな疑問を抱くようになりました。

フラクタル心理学は、
スピリチュアルと大きく違うところは、
全て自分が決断し、
決断の責任を取ります。
そして、慣れてくると、
すべての疑問に自分で分析して考えて
答えが自分で出せることです。

神もマスターも不要なのです。
自分がこの世界の仕組みを
理解してマスターしてるから、
自分で考えたら良いのです。

話を戻しましょう。
2ヶ月前に見た、
カラスが野鳥をくわえて飛ぶ姿。
これが、
「スピリチュアルの世界の答え」
だったのです。

スピリチュアルは、
悟りの世界ではありません。
畜生の世界。
「気持ちがいいという」
「感情の脳」どまりの世界。

何も考えず優雅に空を舞う野鳥は、
心地よさそうで、
競争がない自由で
平和に生きてるように見えますが、
実は、ここを選択した時、
この世界の裏側も一緒に選択します。

畜生の世界は、
生と死が、隣り合わせの
弱肉強食の世界なのです。
思考を捨てた「バカ」という
弱者の世界に生きるのです。

「ここをさっさと卒業しなさい!」
と、深層意識が伝えていたのですね。
今日やっと腑に落ちる答えが出ました。

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悟りとは大人の愛の定義にもとづいて、深層意識が更新されること

こんにちは
お久しぶりのブログになります。
6月末に、厚底靴でルンルン気分で歩いていたら、
大きくコケて左手の指3本を軽く骨折。
そのまま全治1.5ヶ月。
やっと固定が取れたところで、
今日からリハビリに入ります。

京都西院 メーカーにて

認めたくないけれど、
100%自分が創造している世界に住んでいるので、
やっちまった感が大きかったですね。

今回の怪我は、
いろんな意味合いがあると思います。
靴は歩みを進めるものですから、
私が、前に進みたくない気持ちが
強かったのだと思います。
しかも、10センチほどの厚底靴なんですね。
簡単に言えば・・底上げですね。

「ありのままの私」というのは、
素敵に聴こえますが、
自分の「動きたくない!」
「めんどくさい」という、
怠慢を美化している状態になります。

「ありのまま」は、
一人では何も出来ない赤ちゃんの状態。

このありのままを良しとしている人生だと、
最終的には、思考が積み重なる時、
寝たきりの痴呆老人として、
自分の周囲や
自分自身に望み通り現実化します。

なので、私は「ありのままの私」
断固拒否派です。

やっぱり・・
すっぴんのありのままより、
きちんとメイクしてる方が、美しいし、
ありのままのおデブちゃんよりも、
ダイエットして、筋肉つけたり、
ありのままの猫背より、
背すじが伸びてる方が素敵だと思う、
今日このごろ。

かと言って・・・
今回 厚底靴で見事にコケてるからねぇ。
厚底靴のように「底上げ」も嫌なのですね。
努力を積み重ねるとか、習慣を継続するとか、
中身が伴いながらの底上げならいいですね。
きっと、そんな事を大切にしていきたい
私がいるのでしょう。
それで、厚底で転倒という現実を創ったのかしら?
「厚底での底上げは要らない!」と言いたい自分がいます。
(そんな事で靴は捨てました)

あとは、
病気や怪我というものは、
人に優しくしてもらえるとか、
注目がもらえるとか
なにかのメリットがあるのです。
人はメリットがないことは、
絶対に選びませんからね。

この小さな小さなメリットを選択して、
実は、大損するのが病気と怪我なのです。

私の中の一部の未熟な子供心の
「愛の定義」が
「優しくされること」や、
「注目されること」といった
幼い子供の頃の定義のままで、
「大人の愛の定義」に、
しっかり更新されていない部分が
あったのだと思います。

この大人の愛の定義に基づいて、
深層意識が100%更新される事が重要で、
これが「悟り」と言ってもいいのかなと思います。

「ありのまま」が悟りではありません。
それ、赤ちゃんみたいに何もできないけど、
顔だけ、ばばぁ(じじぃ)状態なだけですから!

大人の「愛の定義」には「成長」が必須となります。
この事を知識で知っている人達も、
知ってるだけでは表層意識の何%かだけなのですね。

「わかった!」が
深層意識では、まだまだ、更新されてませんの。

愛の定義は、パソコンと同じで、
表層意識だけでなく、深層意識でも、
しっかり日常を観て、
自分が創造した事と照らし合わせて、
更新をしておいてくださいね。

そうしないと、今回の私みたいに、
また病気や怪我を創り出して、
感情をこねくりまわして、
遊ぼうとするからですね(反省)

私も、ここは、
しっかり自分の中の子供心に向けて、
「病気は大損!!怪我は大損!!」と、
何度も言い聴かせていますよ。

おみくじも 
悟りバーションに変更してみました!
おみくじ1日に、
何度もクリックしている人がいますけど・・
1日1個しか出ません。たまに大吉あります。

プロフィール
悟りバージョンにしてみました。

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