悟りとは大人の愛の定義にもとづいて、深層意識が更新されること

こんにちは
お久しぶりのブログになります。
6月末に、厚底靴でルンルン気分で歩いていたら、
大きくコケて左手の指3本を軽く骨折。
そのまま全治1.5ヶ月。
やっと固定が取れたところで、
今日からリハビリに入ります。

京都西院 メーカーにて

認めたくないけれど、
100%自分が創造している世界に住んでいるので、
やっちまった感が大きかったですね。

今回の怪我は、
いろんな意味合いがあると思います。
靴は歩みを進めるものですから、
私が、前に進みたくない気持ちが
強かったのだと思います。
しかも、10センチほどの厚底靴なんですね。
簡単に言えば・・底上げですね。

「ありのままの私」というのは、
素敵に聴こえますが、
自分の「動きたくない!」
「めんどくさい」という、
怠慢を美化している状態になります。

「ありのまま」は、
一人では何も出来ない赤ちゃんの状態。

このありのままを良しとしている人生だと、
最終的には、思考が積み重なる時、
寝たきりの痴呆老人として、
自分の周囲や
自分自身に望み通り現実化します。

なので、私は「ありのままの私」
断固拒否派です。

やっぱり・・
すっぴんのありのままより、
きちんとメイクしてる方が、美しいし、
ありのままのおデブちゃんよりも、
ダイエットして、筋肉つけたり、
ありのままの猫背より、
背すじが伸びてる方が素敵だと思う、
今日このごろ。

かと言って・・・
今回 厚底靴で見事にコケてるからねぇ。
厚底靴のように「底上げ」も嫌なのですね。
努力を積み重ねるとか、習慣を継続するとか、
中身が伴いながらの底上げならいいですね。
きっと、そんな事を大切にしていきたい
私がいるのでしょう。
それで、厚底で転倒という現実を創ったのかしら?
「厚底での底上げは要らない!」と言いたい自分がいます。
(そんな事で靴は捨てました)

あとは、
病気や怪我というものは、
人に優しくしてもらえるとか、
注目がもらえるとか
なにかのメリットがあるのです。
人はメリットがないことは、
絶対に選びませんからね。

この小さな小さなメリットを選択して、
実は、大損するのが病気と怪我なのです。

私の中の一部の未熟な子供心の
「愛の定義」が
「優しくされること」や、
「注目されること」といった
幼い子供の頃の定義のままで、
「大人の愛の定義」に、
しっかり更新されていない部分が
あったのだと思います。

この大人の愛の定義に基づいて、
深層意識が100%更新される事が重要で、
これが「悟り」と言ってもいいのかなと思います。

「ありのまま」が悟りではありません。
それ、赤ちゃんみたいに何もできないけど、
顔だけ、ばばぁ(じじぃ)状態なだけですから!

大人の「愛の定義」には「成長」が必須となります。
この事を知識で知っている人達も、
知ってるだけでは表層意識の何%かだけなのですね。

「わかった!」が
深層意識では、まだまだ、更新されてませんの。

愛の定義は、パソコンと同じで、
表層意識だけでなく、深層意識でも、
しっかり日常を観て、
自分が創造した事と照らし合わせて、
更新をしておいてくださいね。

そうしないと、今回の私みたいに、
また病気や怪我を創り出して、
感情をこねくりまわして、
遊ぼうとするからですね(反省)

私も、ここは、
しっかり自分の中の子供心に向けて、
「病気は大損!!怪我は大損!!」と、
何度も言い聴かせていますよ。

おみくじも 
悟りバーションに変更してみました!
おみくじ1日に、
何度もクリックしている人がいますけど・・
1日1個しか出ません。たまに大吉あります。

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見下してはいけない

 

今日の話は
私が 瞑想を 始めた頃の話です。
当時は、瞑想は マイナーだったので、
会社の昼休みに 瞑想をしていた私は、
先輩たちから からかわれて、 
泣いた事があったんですね。

自宅に帰ってからも悔しくて、
あるマスターの 写真を見ながら 泣いていたら、

写真から とても鋭い声が 聴こえました。
責任の所在がなくなるので、
私の「心の声」としておきましょう。

「見下せ さげすめ 嘲笑え・・
宇宙(世の中の)理(ことわり)
何一つ わかってない 愚か者だと 
自分よりも 下におけ」と・・

強烈ですね〜(笑)

けれども 
この言葉は 今となっては
非常に奥が深い と 思えるのです。

なぜこんな声が 聴こえたのか?
私が決して これらをしなかった からなのです。

私自身が 先輩たちを 仕事が出来て、
世渡りも上手く、世間的に 良しとされることを
ちゃんとこなしてる。素晴らしい人たちだと 
見上げていたからです。

それに比べて、
私は 瞑想なんて 世間から認められそうにない事に
興味を持ってしまい。
はみ出した 日陰の道を歩く事になってしまった。

こんな風に 私が私自身を 
見下し、蔑み、嘲笑っていたから なんですね。

20年という年月が過ぎた今、
昔、聴こえた 心の声が、 
何を言いたかったのか よく分かります。

全く気づいてなかったのですが、
自分が 時代の 最先端を突っ走っていたのです。
流行の最先端。
今になって、先駆者だった事が分かります。

瞑想をされている皆さん 自分自身の事を
見下してはいけません。

これから 世の中の 人々が もっと 目覚めてきます。
「何やってるの?教えて?」と 聴いてきます。
だから 堂々としててくださいね。

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