自分の行きたい方向に連れていってくれるのは自分しかいない

まだまだ暑い日が続きますね。

最近は週3回
手の怪我のリハビリと
フィットネスで大阪に出かけています。

リハビリしても
お鍋が握れないとしたら、
その時は、私は調理師の仕事を
あきらめないといけません。

そうなったら、
働く所を探すよりも、
すべての仕事を引退して、
家賃や生活費がかからない
セブ島で暮らそうかなと
そんな事も考えながら過ごしてます。

長い目でみたら、
無理矢理でも英語が
マスターできるのは
良いことかもしれません。

最近、
同じ状況でイラッとする事が続きました。
玄関先で、カバンの中を
ゴソゴソと鍵を探すのですが、
見つかるのに時間がかかり
イラッとくるというパターンです。

ネガティブに思える感情は、
実は・・
すべては怒りが形を変えたものです。
例えば、悲しいとか、さみしいとか、
怖いとかも、全部、怒りなのです。

「怒ってる」と言うよりも、
「悲しい」「寂しい」「怖い」と言えば、
カワイイと思われたり、
同情されたりするという、
怒りをごまかすために、
表現を変えているだけなのです。

だから、

ポジティブな感情以上に、
怒りの感情を感じたときは、
自分を見る必要がありますね。

この怒りが何で起きているのか?

私の無意識の部分で、
「私のカバンの中の鍵を
誰かが探して私に渡してくれるべきだ!」
「何なら、私が困らないように、
カバンの中をととのえておけ!」

そんな事を思っている自分に気づきました。

本当に子供の時なら、
親だったり、
お手伝いさんだったり、
学校の先生がしてくれた事なのかもしれませんね。
そんな傲慢で怠慢な子供心が、
私の中にまだ残っているので、
怒りが湧くのだな〜と、

大げさに言えば、
自分という存在を、
自分の望む方向に連れて行くことが出来るのは、
自分しかいないのです。
それなのに、
誰かが連れて行ってくれると
(自分の中の一部分が)
勘違いしているから、
鍵がすぐ出てこない事でイラッとしているのですね。
とても大切な気づきでした。

自分の信じ込みというのは、
普段は深層意識の中に、
隠れているのです。
ネガティブな感情がきっかけで、
やっと気づくことが出来ますね。

この事に気づいてから、
鍵の事でイラッとすることはなくなりました。

鍵を探す時に、
「私を望む方向に連れて行くことが
出来るのは私だけだ・・
私が私を望むところに連れて行くからね」と、
自分の子供心に言いながら鍵を探すのです。
小さなカバンの中ですから、
鍵は必ず見つかります。

そして、
カバンの中と世界は相似形。
同じだということ。

自分が探すから鍵が見つかるように・・
自分が望むものを自分の力で取りに行こうとした時、
必ず手に入るという事です。

手に入らない時は
「誰かが持ってきてくれるはずだ」と、
めでたいくらい待ってる時なのです。

あなたが、なにかイラッとする時、
その心の深くで、何を思っていますか?
見て・・変えてみましょうね。

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では、今日もめいっぱい楽しみましょう!

トリリンガルの姪っ子と奈良公園

フラクタル心理学みのり 悟りへの道しるべ

インディアナ

昨日の 瞑想会で 面白い体験がありました。
ちょうど 瞑想中に お友達の事を 考えていたんです。
お友達は 自営業で、もっと会社を大きくしたいと思っているらしく、
勉強やら、従業員のケアーやら、努力しているようでした。

「私に 何かしてあげられる事って ないのかな?」と 
思っていたら、 大昔に見た 映画のシーンが登場しました。
「インディージョーンズ 最後の聖戦」
インディが 最後に取れそうで取れない聖杯に手を伸ばすシーンで、
お父さんが 息子の名前を呼ぶシーン。これを 想い出しました。

この映画 23年前の 映画なんですね。
主役の考古学者 インディ‥ジョーンズは 
ハリソン・フォードが 演じます。
同じく考古学者の お父さんを ショーン・コネリーが 演じます。

聖杯は 考古学者の 二人にとっては幸せ、宝の象徴です。
お父さんは息子であるインディの事をずっと
「ジュニア」としか呼びません。

過酷な 冒険の末、 聖杯が手に入る直前に 
地震で洞窟が崩壊していきます。
インディは もう少しで 手に入りそうな 崖の下の聖杯に 
一生懸命 手を伸ばします。
その時、初めて、お父さんが「インディアナ」と
息子を 名前で呼ぶのですね。

こうやって想い出すと なんという名シーンなのでしょうか。
聖杯が手に入ろうが なかろうが 
お父さんが息子を 愛してることに変わりないのです。

インディが聖杯から手を引っ込めたのは、
「愛が伝わった瞬間」なんですよね。
私がお友達にしてあげられることは 何かと言えば、
「頑張ってね~」じゃないって事です。
ただ 愛してる事を折にふれて表現してあげる事ですね。

なぜなら、私はお友達の 会社が大きくなろうが 
縮小しようが、 勉強してようがしてまいが、
金持ちになろうが貧乏になろうが、
好きだという気持ちには 何の変わりもないからです。
どうだっていいことなんですよね。

皆さんは 身近な愛する人々に 愛を伝えているでしょうか?
親や 子供 パートナーや 恋人 お友達 同僚
愛ほど 素敵なものは この世に ありません。

瞑想会は誰でも参加できますよ!
まったくはじめての方もどうぞ!
大阪・東京・北海道・名古屋・福岡 スケジュール

瞑想みのりサイト&瞑想コント