フルフィルメント瞑想(エターナルラブ瞑想)伝授&瞑想会(奈良・学園前)


※フルフィルメント瞑想(エターナルラブ瞑想)伝授&瞑想会
開催場所は 奈良 近鉄学園前 原則として 毎月第1日曜日 午前か午後の
個人セッションになごります。(申込みの際に選んでください)・
伝授&瞑想会 申込みの方は 伝授の時間5分前におこしください。瞑想会のみの申込みのかたは、瞑想会の時間(5分前)におこしください。伝授&瞑想会の料金は瞑想のサイトをごらんください 
2021年中には終了します。
金タラWSは2021年秋以降に開催します。参加希望の方は7月までにお知らせください。

伝授の日時 
・2021年4月4日(日)
・午前 10時伝授 /11時〜13時 瞑想会 
・2021年5月2日(日)
・午前 10時伝授 /11時〜13時 瞑想会 
・2021年6月6日(日)
・午前 10時伝授 /11時〜13時 瞑想会 予約済み クリシュナ。
(・午後 14時伝授/15時〜17時 瞑想会)終了予定。

お問い合わせはこちら 

やっぱタラやねん


今日は、関西人まるだしの 
タイトルつけてしまいました。

エターナル・ラブ・メディテーションになってから、
タラ・タントラテクニックを再開しました。
自然に、遠ざかっていたタラを使いたくなったのです。

 

そしたら・・
とっても嬉しいことがありました。

 

何のことはない。
タラから遠ざかっていたのも、
タラが具現化して、持ってきたものが、
受け入れられなかったからです。
ズタズタでボロボロになったので、
瞑想することが怖くなるくらい。

 

それなのに、再開した時、
タラが具現化して持ってきたものは、
昔と全く同じものでした(笑)

 

昔は、タラが具現化したものが
宝物とは思えなかった。
けれども、今は、
全く同じものを宝物と理解しました。

 

自分が成長して、
何でこれが具現化されたのか、
理由を理解したからというのもあるし、
そもそもが、自分の願いどおりだった事に、
後から気づいて、タラの賢さに、
愕然となりました。

 

タラはまちがえない。
高次元の自分だから。

 

もっと当時から、
タラを信じていたら
良かっただけなんだなと思う。

 

そんな事で、タラを使っている
皆さんに伝えたい事があるとしたら、

 

「もっと自分自身を信じてください」と、
伝えたいです。
そして、もう一つあるとしたら、
「それに合わせて、日々、成長してください」
これです。

 

タラ半年コースは、再受講も可能です。
タラの大きなテーマは、菩薩として、
この世界を生きるです。

 

これがマスターできると、
ほんと人生は楽しいね。

小さい自分の延長で、未来の物事をみないで

天神祭

タイの宿泊瞑想の時、
私が一番、感銘を受けた話です。

TM瞑想の 創設者マハリシの話でした。
マハリシが グルデブの弟子だった時、
グルデブはインド中で有名で、偉大なマスターでした。
グルデブのそばには優秀で、地位も高く、
エリートの素晴らしい兄弟子たちが沢山いました。

そんなことで、マハリシは肩身が狭く、
グルデブの傍で講義を聴くことも
出来なかったそうです。

だからマハリシはグルデブの身の周りの世話、
掃除と雑用係をしていたのです。
そして、啓発(悟りを得る事)しました。

掃除をしていた時のマハリシは 
まさか後々、
自分が創設した瞑想が世界的に拡がるとは
想像さえしてなかったのですね。
「僕なんて・・大したこと無い」と思っていた訳ですよ。

私達、人間は今の思考や感じてる事の延長上に 
未来を予想してしまいます。
瞑想の「空」の経験が 
どれだけ人間の可能性を拡げるのかは 

考慮しないで、未来を予想してるのです。
非常に 面白い話です。

私が瞑想を始める前もマハリシと
全く、同じ事を思っていました。
「私なんて 大したこと無い」と、
自分の可能性や創造力には 
気づいてないのです。

実際に経済的な事では、
両親の保護なしには 生きていけないと 
思い込んでましたし、
仕事の事で悩んでいて、辞めたかったけれど、
私になんて、次の就職先は無いから
我慢してしがみついて生きるしか無いんだと、
思い込んでましたしね。
(どんだけ 弱いんだよぅ)

月日が流れ、今現在。
父の面倒は私が見てますし、
何かあれば、甥っ子も姪っ子も
引き受けようと思ってるし、
結婚するとしたら、
何かあれば、その人の子供や親も 
全部、引き受けようとさえ思ってますね
(どんだけ 強んだよぅ)

瞑想していると、
未来は「よい意味」で「わからない」のです。
自分の中からどんな可能性や創造力が登場するか謎なんです。
だからせめて、
今の小さい自分の延長で、未来の物事を見ない事ですね。  

みのりサイト

悟りたければ不思議は捨てよう

前回の続きです。

自分が本当に大切なものを手放す事は、
何で怖いのかなーと思ったら、

「手放したら最後。
この素晴らしいものは、
もう二度と、手にする事は出来ない」
と思ってしまうからです。

でも・・人間って、
持てる容量が決まっているので、
捨てないと、新しいものを拾えないのです。

そして、時が経過すると、
自分が捨てたことをすっかり忘れて、
また同じ要素を持ったものを拾うのです(笑)
皆さんにもありませんか?

「捨てたつもりが、拾ってたわー!」
ってもの。

私の実家は、
宝石を扱う貿易をしていました。
サンゴから始まり、真珠や貴石ですね。

幼少期の強い記憶にこんなものがありました。
お手伝いさんが、遊ぶために、
私と妹に、お手玉を作ってくれて、
通常はお手玉は中に小豆を入れますが、
内緒でサンゴを入れてくれていました。

我が家では、小豆よりサンゴの方が、
身近だったからです。

そんな宝石が当たり前の中で、
暮らしていました。

これは何を意味するかと言えば、
当たり前と思って、普通に、
積み上げている私の思考です。
幼少期からですから、思考の量が多いです。

家業の宝石の仕事を、
手伝っていたこともありましたが、
家業だけに、精神的に、
ストレスが大きかったです。

宝石の仕事をやめる時に、
家業を手放すわけですから、
多大な精神的な葛藤がありました。

「二度と、宝石には関わる事はない」と、
覚悟して、仕事を辞めました。

しばらくして、
瞑想を教えることになった時、
びっくりしたことがありました。

このような伝統的な瞑想は、
ビジャ・マントラを宝石に例えます。

実際にマントラを使っていても、
宝石そっくりで、宝石展やTVで、
本当に価値がある宝石をみると、
特定のマントラを想い出します。

瞑想で扱うマントラは、
「心の宝石」そのものです。

私は、宝石というものを
「二度と拾うものか!」と、
手放したつもりでいたけれど、
また次も拾ったものが、
形を変えた宝石だったのです!

その事実に愕然としました。

外側の形が違うから、
最初、わからないのです。

けれども、エッセンスが同じなのです。
創造が起こる時、
形が同じものが創造されるとは限りません。
エッセンスが同じものが創造されます。

「手放したら最後。もう二度と、
手にする事は出来ない」と思うのは、
ただの錯覚であり「また拾う」が正解なのです。

こんど私が拾う宝石が、
どんな形に変わっているのかは、
わかりません。

全然、違う仕事の形?
趣味の形?
友達とか家族など人間の形?

今は、わからないけど、
私は捨てても、
何か宝石(たからもの)を拾う事だけはわかります。

なぜなら、その宝石を、思考して、
創っているのは、自分だからですよ。

だから、捨てるって、
実は、凄く大事なのかもしれませんねー。

今は、何を拾うのかさえも、
現実の形に登場するまで、
さっぱり、わからないのだけど、
一歩ずつ進んでいくことにしますね。

みのりサイト

悟りたければ不思議は捨てよう4

前回の、
悟りたければ不思議は捨てよう3の続きですね。

実際に見て触れることが出来る現実は、
言い方を変えたら、
一番力を注いできた、
なじみのある思考の塊です。

一番深い深層意識が、
表現されたものとなります。
不思議でも何でもなく、
分かりやすいのです。

心の中にあるイメージとか、ビジョン。
これは、まだ目の前に現実として登場していませんから、
まだ、思考が一定量たまっていませんが、
時期が来たら、現実になる可能性はありますね。
でも、まだ不確定であることには変わりないのです。

それらは、自分の目の前の現実の中では、
遠くに映ります。
TVの中や、本の中などですね。
現実度は低いけれど、
現実に近づいてくる未来と、
過ぎていった過去を教えてくれている
そんなふうに捉えています。

この間、
朝、NHKの俳句番組を見ておりました。

「ぼうたん(牡丹)や、咲ききる力、散る力」

こんな句が詠まれて、美しいなーと感銘
を受けました。

今現在、私はとても苦しい状況にいて、
自分が「この道にすすみたい」
「この夢を叶えたい」
こんな道が、いくつかあったのですけど、
全部が行き止まりに見えてしまって、

しかも、
弱いから、誘惑にも負けそうになるし(笑)
道が見えないのに、歩みをすすめないといけないし。

辛いな、苦しいな・・と、
感じる事が多かったです。

そんな時に、この句が登場しました。
TVの中ですから、私の未来ですね。

私は「未来」咲くこと。
普通の花としては、
咲く気がないこと。

咲ききるならば、苦しいけど、
今は上昇していく必要があること。
咲ききるならば、散る力を出すこと。

色んな事を、
未来のビジョンが、教えてくれています。

だから、愛してやまない 
フルフィルメント瞑想
手放すなら今なんだなというのが、
分析からわかりました。

そう思っていたら、ちょうど、
フルフィルメント瞑想の創設者のボブさんが、
新しい提案を持ってきたのです。
だから、全面的に、
乗ってみようかなと思ってます。

私にとって、
命と同じくらいといえば大げさですけど、
まぁ恋人と同じくらいには大事なものですね。

だから、
「持っててもいいじゃない・・」って、
思われる方もいるかもしれませんが、
そういう問題じゃないのです。

手にしたままだったら、
この牡丹の俳句が、
私には、響いてないはずなのです。
手放すから得れる大きな収穫が、
未来に、待っているのですね。

次回は、またこの話をしてみたいです。
「現実ってこうやって出来上がっていくんだ・・」
って、
今、転機の方や瞑想されている皆さんの
何かの参考になる可能性もあると思うからですね。

ではでは・・

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