創造・維持・破壊・3つの要素から離れた時、真実が存在する

今日は「空」を経験することについて、 
書いてみたいと思います。

エタナールラブ。メディテーションは、
心の最も深い領域を超えた
「空」からはじまる瞑想です。
これが効果の秘密になります。

 

私は、普段、大阪に住んでいますが 
探し物が、東京にある時、
電車に乗って東京に行き、 
そこで探し物をみつけます。
歩いて東京まで 行くことはありません。

理由は簡単です。
歩いていくと時間がかかってしまい、
東京駅に着いた時点で疲れて、
探し物を探しに行くだけの
時間も体力も残っていないでしょう。

また、探し物が
東京にある事が解っているのであれば、
途中の名古屋や静岡で寄り道をして、
そこで探そうとも思いません。

 

努力して探しても、
探し物がある場所が違うなら、
見つける事が出来ないからです。

では・・この探し物が
「心の事」 となると、どうでしょうか?

●一番簡単な方法で 

●目的地に行き 

●探し物をする

人はこの単純な事に、迷い抵抗します。 

 

まず心が探しているものは、
何でしょう?それは「真理」です。 

真理は、変化しないものである
必要があります。

心が途中で変化してしまうものを
真理だと思ってつかんでも、 
心は失望して、また次のものを、
探しに行かなければいけません。

変化するものというのは、
3つの要素を 含んだものです。

 

3つの要素とは、
創造(ある時、生まれて)
維持(それが成長して、進化をたどり)
破壊(やがて、滅び、消滅する)

 

このサイクルを 辿るものです。 

現象界のすべてのものが、
このサイクルから逃れる事は出来ません。

この世界に創造されたものは必ず変化します。 

人、動物、自然、宇宙でさえも、
心がどんな興奮して、
楽しくとらえた出来事であっても、
いつか変化するのです。

 

唯一変化しないものは、 
この創造のすべてを
創造した「空」だけです。

 

だからこそ、この現象界を 
最初に 超える経験が必要なのです。

 

この瞑想の場合
心の乗り物が、プージャによって渡される
ビジャ・マントラ・ヤントラで、

 

心の活動である聴覚、
そして、視覚を通じて、思考の波を
逆にたどって、即数分で、
真理である「空」に辿り着きます。

 

けれども、
真理に辿り着いたら、
そこで時間をかける必要があります。

なぜなら、
心はこれが「真理である」ということを 
初めのうち 理解できません。

 

真理が、
簡単にやってくるとは
思ってもいませんし、

 

心は創造の源である「空」よりも、
そこから、創造された 
何かに捕らわれてフォーカスしてしまう事に、
慣れているからです。

 

また、心は、変化するものに
慣れすぎてしまった為、
変化しないで「ただ存在する」ものに、
慣れていません。 

 

ですから、真実を理解するのには
心が真理に親しみ慣れる必要があるのです。

 

「空」を理解するのに、
少し時間を かけてみて下さいね。

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悟りたければ不思議は捨てよう5

前回の続きです。

自分が本当に大切なものを手放す事は、
何で怖いのかなーと思ったら、

「手放したら最後。
この素晴らしいものは、
もう二度と、手にする事は出来ない」
と思ってしまうからです。

でも・・人間って、
持てる容量が決まっているので、
捨てないと、新しいものを拾えないのです。

そして、時が経過すると、
自分が捨てたことをすっかり忘れて、
また同じ要素を持ったものを拾うのです(笑)
皆さんにもありませんか?

「捨てたつもりが、拾ってたわー!」
ってもの。

私の実家は、
宝石を扱う貿易をしていました。
サンゴから始まり、真珠や貴石ですね。

幼少期の強い記憶にこんなものがありました。
お手伝いさんが、遊ぶために、
私と妹に、お手玉を作ってくれて、
通常はお手玉は中に小豆を入れますが、
内緒でサンゴを入れてくれていました。

我が家では、小豆よりサンゴの方が、
身近だったからです。

そんな宝石が当たり前の中で、
暮らしていました。

これは何を意味するかと言えば、
当たり前と思って、普通に、
積み上げている私の思考です。
幼少期からですから、思考の量が多いです。

家業の宝石の仕事を、
手伝っていたこともありましたが、
家業だけに、精神的に、
ストレスが大きかったです。

宝石の仕事をやめる時に、
家業を手放すわけですから、
多大な精神的な葛藤がありました。

「二度と、宝石には関わる事はない」と、
覚悟して、仕事を辞めました。

しばらくして、
瞑想を教えることになった時、
びっくりしたことがありました。

このような伝統的な瞑想は、
ビジャ・マントラを宝石に例えます。

実際にマントラを使っていても、
宝石そっくりで、宝石展やTVで、
本当に価値がある宝石をみると、
特定のマントラを想い出します。

瞑想で扱うマントラは、
「心の宝石」そのものです。

私は、宝石というものを
「二度と拾うものか!」と、
手放したつもりでいたけれど、
また次も拾ったものが、
形を変えた宝石だったのです!

その事実に愕然としました。

外側の形が違うから、
最初、わからないのです。

けれども、エッセンスが同じなのです。
創造が起こる時、
形が同じものが創造されるとは限りません。
エッセンスが同じものが創造されます。

「手放したら最後。もう二度と、
手にする事は出来ない」と思うのは、
ただの錯覚であり「また拾う」が正解なのです。

こんど私が拾う宝石が、
どんな形に変わっているのかは、
わかりません。

全然、違う仕事の形?
趣味の形?
友達とか家族など人間の形?

今は、わからないけど、
私は捨てても、
何か宝石(たからもの)を拾う事だけはわかります。

なぜなら、その宝石を、思考して、
創っているのは、自分だからですよ。

だから、捨てるって、
実は、凄く大事なのかもしれませんねー。

今は、何を拾うのかさえも、
現実の形に登場するまで、
さっぱり、わからないのだけど、
一歩ずつ進んでいくことにしますね。

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