内側に静寂を!

17日は阪神大震災から25年だったのですね!

非常事態だったから、
当時は、ありとあらゆる普段感じないことを感じていました。
震災の前も挙動不審になっていたけど、
後もかなり挙動不審で、
チンドン屋みたいな服を着てしまっていました。

地震中はギリシャでずっと月を見ながら瞑想してて、
帰宅した時は、沢山の人がスーツケース持って移動していたので、
意味がわからなかった。
道行く人に「何で移動してるのですか?」とか、
これまた意味不明な質問していました。

地震の日に有給を前借りして会社を休んだ私は、
旅行前に、人事部から嫌味を言われ(そりゃそうだ)
あまりの嫌味に、売り言葉に買い言葉で・・
「地震で死んでもしらんからな〜」と、
喉まで出かかっていた言葉を止めて、ギリシャに出かけました。

1ヶ月前から地震が来る事が予感でわかっていました。
厳密には、地震とまでは思わなかったけど
「神戸にいていはいけない」という、
するどい大いなる禁止のような感覚ですね。

だから、学者が地震の予知は不可能だと言っているけど、
絶対人間にはその力があると、
私は瞑想の生徒さんにも断言しています。

火災が多かった長田のネズミは、元町の飲食店あたりまで、
1ヶ月前に逃げてきていましたし、人間も動物です。
こんな力がちゃんと備わっている。
普段から自分の中に静寂の時間を持つことだと思います。

地震から気をつけていることは、
新築または新築に近い家に住むようにしている事ですね。
これだけは、守っている。今の奈良の家も、
新しいのでここに決めました。
一所懸命生きましょう。
写真は、世界で一番好きな街 神戸

奈良学園前 伝授&瞑想会
https://www.1satori.com/blog/?p=5189

新神戸駅

静寂が伝えてくるもの

まぁ 
とにかく快適で・・快適で・・
引っ越してよかったな〜と思っています。

静寂があふれていて、
空気がキレイなことがいいですね。
あとは、生駒山一つ越えるだけで、
なんか、仕事とプライベートを
分けられる感じがあるのも好きです。

生駒山一つ超える感覚が、瞑想的なのです。
生駒山は、
空でも(何もない創造の元)現象でもないギャップのような感じですね。
このギャップを挟んで、空(奈良、暮らしを静かに楽しむ所)と
シャクティ(大阪、力いっぱい活動する場所)があり、
その両方を行ったり来たりの感覚が、まぁ〜とても瞑想的なのです。

書いてて思ったのですが、これはタラ・タントラの感覚なんだなと・・
タラ(高次元の自分)にとっては、生駒山は足でまたいで越えるもの。
奈良と大阪はお家のお隣のお部屋みたいなもの。

奈良・学園前なので、
周囲の人が「えっ!あの高級住宅街にお住まいですか!」と
勝手に、何かを勘違いしてくれることも嬉しい。
(私が住んでるのは ただの団地だ!(笑))

大阪のスポーツクラブに通っているし、
大阪に行きつけの食材屋さんもあるので、
大阪までの半年間の定期を買いました。

奈良という静寂に入り、
大阪という活動の場で力を出す。

そんな事で、
とてもここの暮らしや住まいの立地、
環境も全部が好きで、
楽しい毎日を過ごしていますが・・

この間、家の前の道を歩いていると
爽やかな風が吹いて・・
奈良の静寂が、私に伝えてきました。

漠然と・・ですが、
「ここには3年くらいしか住まない」
のかもしれません。

こんなに気に入ってるのに!
私の暮らしに何か変化が起きるのかもしれませんね。
理由が出てこないからまだ分からないけれど・・

死んでたりして! 大丈夫か?私?(笑)

とにかく、奈良は環境の静寂が大きいせいか、
ただ生活してるだけなのに
いろんな事が伝わってきますね。

日々楽しく流れていこう。

悪役

お盆らしく、数年前に亡くなった母の話です。
ある日、私は、悲しい出来事に遭遇し、
気持ちが折れてしまい、
数年前に亡くなった母に逢いたくなりました。

物理的な肉体は もうない訳ですから、
「夢で逢えたらな~ 」と思っていたら、
なんと、夢に出てきましたね。

それがマンガみたいな夢でね。
幽霊のように頭に白い三角の布。
白い着物の母です。

赤土の平地に私がいて、
母が崖の下のような平地から、
私の事を呼んでました。

どうも設定としては、あの世とこの世みたいです。
臨死体験のドラマだと、あの世からご先祖様が
「まだこちらに来ては いけないよ~」と優しい声で、
諭して返す設定ですね。

ところが、うちの母の場合は
「みのり早くこっちに来なさい」って
手招きして、
何故かあの世に行かない私が、怒られた(笑)

手を繋ぎたい気持ちと、
あの世に引きずるこまれる予感と両方で、

「ママーちょっと待っててー」 とかいいながら、
引きずりこまれないように、この世にある大木と自分の胴体に、
命綱をくくりつけて、手をつなぎに行く夢でした。
手をつなぐところで、目が覚めたんだけど・・・

目覚めた瞬間に朝からケラケラと、
笑ってしまった。
悲しい気持ちも吹っ飛んだ。
あの世に、実の娘を呼ぶ母も母なら
「引きずり込まれてたまるか」と
命綱つけて、手をつなぎに行く娘も娘だなと・・

生前は 理解に苦しむことも多々ありましたけど、
死んでからも、
これだけキャラクター的に面白い人って、
私はこの人の娘でよかったな~と思いますね。

それと同時に、この夢から理解した事ですが、

「人生は幻想。映画のようなもの」
とよく言いますけれどね。
寝ている時の、夢が幻想であり、
その幻想の中でも母が悪役を演じているように、
人生という舞台の上でも母は「悪役、汚れ役」を、
沢山、演じきったんだなと・・・

本物の映画の中では
悪役を演じる女優や男優に向かって、

「どうかその役を辞めて下さい」
とは決して言わない。

「リアルに演じきって下さい」と、
要求を出します。

けれども、
人生という舞台に
役割を持って登場してくる存在に対して、
気に入らない時は、

私たちは監督でもないのに
「どうか、その役を降りて下さい」と 

結構、言ってますね。

生前は母の振る舞いを変えようとして
衝突することも多かったです。
「人生は 幻想。映画のようなもの」
こんな言葉はこの業界にいたら、
耳にタコが出来るほど聴いて知ってます。

本当にこの事の意味を、私が理解できたのは、
母が「空」の静寂に溶けて2年経過した
この面白い夢を見た経験からなのです。

彼女は最初から、ただの「静寂」だったのですね。
それでいて、悪役、汚れ役を見事に演じきった
いい女優でした。
これだけが真実です。
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