時速180キロのフェラーリに叫んだところで・・

2016-08-11 13.10.33

お盆ですね。
ご家族と楽しくすごされているでしょうか?
家族と過ごすと、色んな気づきも多いと思います。

私もお盆に、
とても、大きなきっかけを頂きました。
前回のブログですね。

これ単なる「ありのままの自分を認める」
って、話じゃないのです。

そんなことは、皆さん、
耳にタコが出来るくらい聴いてて、
ご存知なんですね。

だから「わかってる」「実践してる」と思ってしまいます。

でも、私たちの意識の海は巨大で、
ものすごい速さで流れているのです。

目に見える世界である、
地の要素は、固まって、速度が遅いのに対して、
目に見えない意識の世界である、
水の要素(感情や魂)火の要素(知性や光)
になると、
より精妙で、速度は早いのです。

だから、個別の事象に当てはめないと、
わかってると思って、
ただ通り過ぎているだけなのですね。
つまりは、全然、わかってないのと同じなのです。

だから、皆さん、瞑想すると、
自分のことなのに、
目からうろこで、ビックリされる訳です。

例えるならば、
高速で180キロのフェラーリに乗っている自分にむかって、
外から「ありのままの自分を愛するんだよー」
と、言ったところで、
一瞬で通りすぎるから、聴いてない、伝わってない。
これに近い感じが、心の中で起きているのです。

では、しっかり理解しているか、してないか?
この違いは、どこで分かるかといえば、
後に起きてくる、行動でハッキリわかります。

深く理解してる行動と、
少しだけ理解をはじめた行動と、
全然、理解できてない行動と、
全部が、違う結果なのです。

なによりも、
そこから起きてくる創造が、違うのです。
何も創造が起きてないとしたら、
深く理解してない部分が、
まだ沢山あるのだと思いましょう。

このすごい速さで流れる大海から、
個別の事象をすくい上げてくる。
これが瞑想でしていることです。

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お盆らしい出来事

2016-08-11 13.09.48

お盆ですね。今日は、
お盆らしい出来事がありました。

朝から、悲しい出来事があって、
久しぶりに落ち込みました。

この、フィーリングは 事あるごとに、
何度か繰り返される感覚でもあったのですね。

遊びに出かけたんだけど、
気分が乗らないので、
自宅に帰って、瞑想することにしました。

「ありのままの私は みてもらえない」
「落ち込む 悲しい つらい」

こんなフィーリングがありました。

そしたら、6年前に 死んだ 母親が出てきました。

母は、ありのままの私を、
いつも愛してくれていました。

「ありのままの 私はみてもらえない」
なんて、とんでもない勘違いです。
大馬鹿野郎にも程があります。

とても体が熱くなって、
自分の中に愛を感じました。
偉大な母親は、私の中に存在します。

お盆らしい出来事ですね。
母親というのは、本当に偉大な存在です。
GREATです。

毎年、毎年、親という存在が、
偉大であるということを一つ、
また一つと、発見しますね。

そんな事で、親の愛に沢山、泣きました。

朝、起きた悲しい出来事なんて、
へっちゃらというか、まぁーどうでもいい事です。
私は、いつも愛されている事を、知っているから。
愛というのは偉大です。

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瞑想のセンス

2016-08-07 12.49.09

昨日のブログ
静かなマインドと空の経験の違いは?
のつけたしですね。

空を経験して、
とてもうるさいマインドになる場合もあるのです。

必死で雑念を消そうとする行為も、
あまり意味がないなと思います。

というか、
瞑想のセンスを感じないのです。
瞑想は、ハートでするもの 感性のものなのです。

雑念があっても、
暖簾(のれん)をかきわけるように、
瞑想したら、カッコよくないですか?

雑念なんて、何事でもないの。
何事でもないものを、必死に消そうとしたり、
あるのに無いものにしちゃう行為が、
センスが無いのです。

こういう、瞑想のセンスが、
現実を生きる中にも出るのです。

 

世の中には、雑念のように、
何事でもないものが、あふれています。
それを必死で消そうとして、時間を取ったり、
必要以上に注目して、
さも、人生の大切な事のように扱ってしまったり。

何事でもないものは、
世の中にあふれているのに、
無かったことにしようとしたり、
どっちもヘンです。

瞑想が生きているということ。
この生きてる瞑想を楽しむの。

難しい人は、瞑想会に参加して下さいね。

どうでもいい ちっぽけなものを手に入れて、
大きな宝を逃す事の方が、どうかしてると思います。
まぁこれも、センスが無いとわからないわけです。

もっと、習った 自分を信じたらいいだけなの。
ただ、淡々と 毎日 続けるの。

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静かなマインドと 空の経験の違いは?

2016-08-06 13.25.54

多くの人が 静かなマインドの事を
「空」だと思っていますが、
そこには 明らかな違いがあります。

瞑想で「空」を経験している時、
それは 思考が無い事状態(静かなマインド)では ありません。

意識の海が 動く時、沢山の ゴミを出していきます。
そのゴミは、思考に乗って、出ていくので、思考がてんこもりでも 
瞑想の効果が 出ているのです。 
ゴミも出せない瞑想の方が どうにかしてます。

海の底に居ても、波の事は、はっきり 見えますね。
けれども、それは 波の上にいる事とは 大違いです。

実際に 静かなマインドと「空」を経験する違いは、
心と身体が 本当に 休んでいる事です。

どんなに 瞑想中、動いても 体が熱くなっても 
体謝が寝ている時より、短時間に落ちているのです。

「空」と「静かなマインド」の 
解りやすい たとえ話があります。 

「静かなマインドは 
机の上に置いた 矢のようなものだと・・」

それに対して、
「空の経験は、弓の上に置いた 矢のようなものだと・・」

この二つの矢は 止まっている事では、
同じで 違いが解りません。

けれども、弓の上に 置いた矢は、
ひとたび 手を放すと、
的めがけて 飛んでいきますね。

そこには 創造を起こしていく、力があります。
これが 大きな違いです。

弓を後ろに 大きく引くこと 
これは、瞑想で「空」を蓄える事だと思って下さい。

遠くの的に、
的中させたければ、もっと後ろに 弓を引く事です。
心の深く深くに、入っていくこと。

後、する事は、手を放して、
矢が飛んでいく事に、任せることですね。

後ろに引いた矢から手を放す。
ここに 努力が いるでしょうか?
瞑想して ただ、執着を手放す事に似ていますね。

単に手を離せば、的をめがけて、矢が飛んでいくのです。

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