プロスペリティと口唇期 その2

料理が何より楽しい

前回のプロスペリティマントラのお話の
つけたしから・・

「生きている瞑想をする」という事。これが、何より大事。
生きてる瞑想とは、そこにプラーナが満ちている瞑想という事。
空の直接的な体験であるという事です。
そしてそれが動く時、シャクティ(動く空の事)となります。

本当のイメージとは、シャクティの触手が、勝手に未来を見せる。
だから「望む未来を創るために、イメージする」は
何かが違う。マインドでイメージをゴリ押しして
作り出しているだけで、そこに力なんてないからです。

例えば、
結婚したいから真珠をイメージするんじゃない。
大金持ちになりたいから、
金の延べ棒をイメージするんじゃない。

本当の生きた瞑想であれば、
イメージというのは、勝手に先に見ちゃう。

上記の例で言えば、
結婚の良縁がきてる時、真珠を見てしまう。
金持ちになるから金の延べ棒を見てしまう。
こんな感じです。とにかく、瞑想が生きてる事よ。
フルフィルメント瞑想(ELM瞑想)は生きてます。

今日はこの続きです。

どこで豊さの流れが止まっているのかを教えてくれるのも
ラクシュミです。

例えば、金貨が周囲には降ってくるのに、
自分にだけは、降ってこない。

こういう体験の人は、
まず、自分を満たす事を練習する必要があります。

親が厳しい宗教家であったり、
ボランティアに力を入れている人は、
こんな体験をするのです。

世のため人のための量が多すぎて、
バランスを欠いているのです。
エゴに問題が起きており、
自分をないがしろにしすぎる傾向があるのです。

赤ちゃんの時に、おっぱいが受け取りにくくて、
赤ちゃんが「本当に受け取っていいの?」
「受け取ると、愛がもらえない」

こんな認識の歪みやくもりを持っていると、
食べる事や、仕事で自分が出したエネルギーに対して、
お金を受け取る事が苦手だったりします。
これは、第一次口唇期のトラウマ(ストレス)
と言われています。
(この説は、私、個人的には正しいと思ってます)

仕事をしていても、稼ぐ以上に無駄な散財であったり、
どうでもいい事に、お金が流れる傾向が強くなります。

「もらえないなら、欲しくなかった事にしておこう・・」
これが心の中で起きているので、
何よりも「自分の本音に気づきにくい」
という特徴があります。

でも「欲しい」が本音だから、
とんでもなく食べる。食べないの繰り返し。
これがひどくなったのが、摂食障害です。

この場合は、ラクシュミは、お金ではなくて、
ミルクを用意します。これがソーマですね。

 

その人が、受け取れるものを、
的確に与えるのがラクシュミです。

 

どこまでいっても、
ラクシュミからミルクしか受け取れない。
この場合は、
第一次口唇期の心の傷を癒す事から始めましょう。

 

何が欲しいのか、
自分でも自分の事をよくわかっていません。
だから感じる器官であるハートを開く事も大切です。

 

私はよく「瞑想をして、日常に戻ったら現実と
体験を照らし合わせましょう」
こんな話をしますが、
日常に照らし合わせるとは、この場合は、
何か事あるごとに、日常の中で、
自分で自分の本音を探る事です。

 

「本当は何が欲しいの?」
これを何度も何度も自分に問いかける作業をします。

とにかく、自分が第一次口唇期でつまずいておるぞ・・と
感じたら、プロスペリティ・マントラがおすすめです。
人にあげてる場合じゃなくて、その前の段階で、
豊かさの回路が止まっているからです。
自分が受け取る事から始めましょう。

長くなったので、今日はここまで、
次回は、第二次口唇期と
プロスペリティ・マントラについて
書いてみたいと思います。

瞑想伝授&瞑想会は5月22日(月)です。

瞑想みのり

ニュースからの気づき 2

 

ピザ生地も簡単で美味しいよ!

瞑想みのりです
次回の伝授&瞑想会は
5月22日(月)ビジャ&グリーンタラで、
決定しております。

今日は、瞑想とあまり関係のない
ニュースからの気づきブログにしました。

ニュースからの気づき詳しい説明はこちら

私が気になったニュースは
『ハリーベラフォンテの訃報とカリビアン坊やぶっ壊れ』

 

ハリーベラフォンテの訃報。
そして、同じ日に 長年大切にしていた、
黒人の人形が壊れた出来事がありました
「なんだこれ?」と気になったので、分析してみました。

「人の死」というのは、悲しい出来事ですが、
分析する場合は、悲惨であったり、大好きな人であっても、
ポジティブな意味合いがある場合もあります。

これは、自分に照らし合わせて、
外枠ではなくて、要素だけをみるからです。
人の死は、自分の中の「何かの要素の死」を
意味する事があります。

ベラフォンテは私にとっては、
要素で言えば、一つの音で、
喜怒哀楽を表現できる天才です。

演歌は悲しみは表現できても、
喜びと楽しみは表現できません。
(例外はあるのかもしれません)

カリビアンやラテン系では、
喜怒哀楽の全部を表現できます。

カリビアン坊やとは、
私が20代の時にペルーを旅行して、
その後にマイアミに立ち寄り、
そこで買ったお気に入りの人形です。
マイアミというのは、
カリブ海の文化とか風が感じられるところで、
その記念に買ったお土産で大切にしていました。

それを、ベラフォンテの訃報と同じ日に、
落として、首から上が壊れてしまいました。

「カリビアン坊や(人形)の頭が取れる」
という現象。

喜怒哀楽は、結局は脳の反応ですから、
ここから動くことを、減らせと、伝えている。
「頭を捨てろ!」です。

楽しいこと、喜びには即、動ける。
これは私の長所でもあるけれど・・
でも、悪い言い方をすれば、
ネガティブな感情が出てきたら行動しない。となる。

これを辞めて、自動的に動いてみる。
「カリビアンを捨てて、ロボットのようになれ」
これが今の私には、大切なのだと受け取りました
「カリビアン(喜怒哀楽の象徴)の死」です。

特に「めどくさいな・・」とか
「怖いな・・」と思ったら、
動かない選択が出てしまう。

「何でしないといけないの?」とかも感情です。

仕事の場面でも、それが趣味であっても
これは、今の私に必要なメッセージです。

そんな事で、
仕事もロボットのように頑張りますが、

ず〜っと躊躇していたのですが、
野草の勉強を始めてみようかなと思ってます。

学んでみたいは、昔からあったけれど、
ヨーロッパ旅行ほどワクワクぜず、
山に入るのも、虫が怖いし、熊とかもいたら怖いし(笑)
人が熊に襲われたニュースとか調べてたりして・・
これも感情を揺らす行為で時間の無駄なのです。

でもず〜っとウジウジしてたので、
ヒマだし、今しかない!

野草の話はまた追々、ブログで書きます。
瞑想みのり

ニュースからの気づき 1

この間は、OG会の方に向けて、オンラインで、
ニュース分析の話をしました。
自分が現実の中で気になった出来事や、
ニュースの中で、心に残っているもの。
ここから、自分の進む方向性に向けて、
行動の指針をもらうのです。

特に、自分が大きく変化する時は、
ニュース分析をすると、興味深い結果が出ます。

難しいものではありません。

ブッダの苦行中のお話に、
琴(こと)の師匠と弟子の会話を聞く話があります。

琴の師匠が、弟子に向かって、こんな事を言います。

「琴を弾く時に、弦が張りつめていると、切れてしまう。
かといって、弦が緩みすぎても良い音が出せない。
だから、真ん中を行けと・・張り詰めすぎず・・緩みすぎず・・」

ブッダは苦行中にこれを聞き、
まさに自分が、張り詰めすぎた弦の状態だと理解したのです。

それでスジャータの お粥飲んで、
とっとと苦行を辞めるのですね。

これも、ニュース分析と言えるでしょう。
難しくないです。日常の出来事から自分について気づく事です。

方向性を変える必要がある時は、
必ず日常の中にヒントが出ているのです。
ずっと心に残る出来事やニュースは、
意味を分析した方がいいのです。

 

人は何かの目的があって、
生きていると思うのですね。
私は、魂の成長ではないかと思っています。
人生の山登りです。
これは、一直線に登るのではありません。
ジグザグと、折り返し地点を挟みながら進んでいきます。

この折り返し地点の時は、
今まで正しかったものが、正しくなくなります。
物事は、どんなに良いものでも量が多すぎた時、
悪に変わります。

ブッダにとっても、ある地点までは、
苦行は正しかったのです。
けれども、成長していく、折り返し地点の時、
苦行は正しくないのです。だから辞めたんです。

結果、ブッダの大切な教え、
中庸がうまれました。
非常にシンプルな ブッダの大好きな教えです。

けれども、この素晴らしい教え「中庸」さえも、
自分が何かを極にふった事がない人には、
正しくはありません。

この場合は、がむしゃらにやれ!が、
正しい場合もあるのです。

だから、まずは、
今の自分がどの位置にいて、
どこに向かっているのか?(方向性)
これを知る事なのですね。
これがニュース分析で、できる事です。

こちらはシリーズでちょくちょく書いていきます。

 
次回伝授&瞑想会は5月22日(月)です。
6月からサイトの変更や料金の変更します。

瞑想みのり 

おうち飲み