大阪の街と地震のこと

万博公園

1週間の長期出張に出かけておりましたら、
大阪での地震のニュース。
留守宅は、特に被害は無いようです。

私は、瞑想している人は、
地震を予知する能力があると思ってます。

阪神大震災の前は、当時住んでいたのが、神戸で、
1ヶ月前からありえないくらいの挙動不審になり、
当日は海外旅行しておりました。

東日本大震災の1ヶ月前は、
高田馬場の居酒屋にいて、
ふと、置いてある酒瓶が
地震で倒れないかな?と、
頭によぎりました。

この辺から、
人間にも動物みたいに、
地震予知能力があることを
証明したいと思うようになりました。

それで、直接的な表現はさけるとしても、
半分、公になるニュースレターや
FBグループ内では、ふとした直感は、
地震の前に、書き残しておきたいと
思うようになりました。

熊本地震の前には、
出張前に、ガラスの花瓶を全部、
床におろしてから
出かけた事を書きました。
これは、突然、起きた直感的な行動です。

今回の大阪の地震については、
去年の天神祭(7/25)に、来年の今頃は、
私は何をしてるだろう?と想像したら、
大阪の街が消えてるビジョンを見ました。

これも、奇妙な出来事だったので、
残しておこうと思い、
ニュースレターと、
みのり秘密の世界のパワースポットの
FBグループに書いておきました。
(2016年の7/25頃に書いてます)

今回の地震で、
人間には地震予知能力がやっぱりあると
確信を持ちましたので、

次回、何か感じることがあれば、
ブログ上でも書いていきたいですね。
言葉は濁して書くと思います。
「地震が来る」と直接的な表現をしてしまうと、
その現実をつくってしまうし、
もっというと
「怖いよー」という恐怖を味わいたくて、
地震を創る可能性もあるからです。
予言とか的中させることが目的じゃなくて、
自分たちの普通の能力だと、気づくことですよ。

もしも・・地震が嫌な人は、
一刻も早く、何でもいいから、
人生のなしとげたい目的を用意することです。

TVを見るとか、昼寝するとか、
どうでもいい目的ではなくて、
この世に生まれて来て、
やり遂げたい達成したい事ですよ。

とにかく、地震に一番、
いけないものがあるとしたら、
「目的なき ひまじん」である事です。
何で?と聞かれても・・・
ここは、
言葉を濁しておきましょう(笑)
言葉濁してますけど・・
冗談抜きで真面目に話してます。
ちゃんと聴いておいて下さい。

そして、余震が怖い人は、
朝の瞑想を
「今日の瞑想を、
大地の女神に捧げます」
と言いながら、瞑想してください。
大地のパワーは、凄いのですよん。

地震が怖いのは、
頭の中の幻想であり、
自分が守られていることを感じてくださいね。

大阪の街が消えていたビジョンですが・・
私は、もう気にしてないです。
ビジョン見てからの1年は、
引っ越したいとずっと思ってました。

それが急にこの5月頃、消えました

そして、
大阪の郊外に出かけるようになったの。
この5月から6月に、
堺と箕面と万博公園遊びに行きました。
大阪に住んでいながら、10年も行った事がありませんでした。

大阪の街に、
馴染もうとしてる私がいます。(今頃かい!)

本当に、この1ー2ヶ月の出来事ですね。
だから私の現実の中では、
大阪は、消えないのです。

https://www.1satori.com/

愛って 何でしょう?

婚活のカウンセリングなどしていると、
愛がわからない人っています。

「お願いだ!婚活より前に!瞑想してくれ!」

愛は、考えることと、感じる事(感情)とも違います。
愛は、ハートの中にある力強いエネルギーです。
瞑想は、愛とつながります。

だから、
瞑想してる人は、
皆さん、内側の愛を知ってます。

知らないとしたら・・

「お願いだ! 愛を体感できる瞑想に!
さっさと変えてくれ!」

瞑想してる人は、
体感で愛を知っている・・
けれども、
これは、内側で自分が感じている
エネルギーの状態であれば有効なのですね。

私達は、
目に見える世界と見えない世界
両方にまたがって生きていますね。

だから、
外側の世界を見るにあたっては、
「愛って何か」をしっかり、
定めておく必要があります。

自分のハートの中にある力(愛)
これを、何と定めるかですよ。
これを「定義づける」と言います。

そうしないと、
愛を内側で感じている。
あることを知っているにもかかわらず、
外の世界で、認識できないのです。

例えばね。
愛が「優しくする事、すべてを受け入れる事」
と、定めていると、

子供を成長させようとして、
親が叱ってくれた事、
成長させようと、課題を与えたり、
プレッシャーをかけてくれたこと、
これが愛だとは、決して見えません。

だから、ずっと、親がしてくれた事、
全部を恨みに思っていたりします。

そして、自分の子供を、
諭したり、叱る時にも、
罪悪感や後ろめたさを感じます。
私には愛がないと、
自分が定めたとおりに、
間違って感じてしまうからですね。

「自分を愛する」
これも、定めていることが
「優しくする事、すべてを受け入れる事」
だったりすると、
たいした事してない自分を甘やかす事。
わがまま言う事。だと信じて疑いません。

あたり前の事しだだけなのに、
なぜか、自分へのご褒美だらけになる(笑)

こういうの、
愛とおもっていると、
自分が苦しくなりますね。

他にも例をあげるとしたら、
愛を「つながっていること」

こう定めていると、

外で、
必死で働くお父さん、
残業だらけの夫の愛が理解できません。
自分が定めてないから、
本当に、本当に・・見えないのです。

それで、夫には、愛がない冷たい。
愛されてないと思ってしまいます。

実は、
冷たいのは・・自分の方です。

病気などもそうですね。
愛を小さく捉えていると、
がん細胞とか、病原菌に対して、

受け入れて包み込み、
つながって、
優しくしちゃうから、
NOと言って、
体の外に排泄することが出来ません。
ウェルカム病原菌。

結果、
一番に愛すべき自分の肉体が死に至る。

愛じゃなくて、
それ残酷なんですけど・・・。

「あんなにいい人なのに、
なんで病に侵されるの・・」って、

よく聞くドラマのようなセリフは、
勘違いの愛いっぱいの良い人
だからなのかもしれません。

みのりサイト