神鳴りのように竜巻のように・・

こんにちは
瞑想みのりです。

奈良の大仏

この間、
オンライン質疑応答&瞑想ライブをしました。
瞑想歴が4年から10年超えてる人が多く
10名の方が参加されました。

一番新しい人達でも、
ブラフマン意識の経験をしているのですね。
神の知覚が、目覚めて、空間に透けて通る体験です。

 

私も皆さんの体験を聞いて、
凄いな〜と思いましたし、
嬉しかったです!

「透けて通る・・」を別の言い方をするとしたら、
自分のエネルギーのフィールドが、
宇宙に(世界に・空気中に)拡がり、
目覚めているということです。

瞑想は、リラックスして始めます。

ブラフマン意識になると、
自分の身体の輪郭をしっかり感じるというよりは、
その輪郭が消えてしまうような感じで、
瞑想を始めていきましょう。

手のポーズとか、
アグラとか、どうでもいいです。
私は、昔から・・
手のポーズにこだわったり、
背筋をしっかり伸ばすとか、
身体のスタイルにこだわりすぎる瞑想は
しようもないと思ってました(笑)
今も・・思ってます。

「身体を超えて意識が拡がっている」が、
正しいからです。

尾てい骨から上昇していくエネルギーを
クンダリーニと言いますが、
これも、身長160センチ足らず人であれば、
頭頂から尾てい骨の90センチ足らずだと思って
瞑想してる人が多いです。
肉体に囚われているのです。

クンダリーニはそこじゃない。
クンダリーニは龍や蛇に例えられますが、
自然現象の竜巻をイメージするといいです。
(あんまりお目にかかりませんけどね)

もっと分かりやすいのは、
夏のカミナリです。
カミナリは、神鳴りとは、よく言ったもので、
天から地に電流が走りますけど、
瞑想してる人は、
あれが、自分の背骨だとイメージするくらいで
丁度いいです。

雲を脳に例えると、
雲の合間(松果体)から、
私達の知覚を変化させるソーマと
呼ばれる若返りのホルモンが生成されて出てきます。
(これは「空」を経験する瞑想に限ります)

ソーマは、瞑想中、内なる目で見るときは、
乳白色のクリームですが、
この体験が増していくと、磁気的傾向が強くなり、
まさに神鳴りの電流のようです。
「天から大地」これが私達の意識の
フィールドだと思ってください。

タラ・タントラ使っている人も同じです、
赤タラで上昇し、白タラで降りる。
赤で雲まで、突き抜けて、
白で降りるは雲から大地まで突き抜ける。
自分の肉体からはみ出ている。こんな感じです。
これが私達のエネルギーフィールドです。

私達は、ブッダの事を「大仏」と呼びますよね。
これもぼ〜っと聞いてちゃダメ(笑)
自分の身に起きることです。
人間が到達しうる意識の状態を表します。
文字通り、目覚めた意識が・・大きいの。

奈良在住ですが、
奈良の大仏には沢山のインスピレーションを頂きます。
門から大仏殿まで、めっちゃ遠いのですが・・
これ、奈良が田舎だからじゃないのです。

大仏の仏像がブッダの身体じゃないもの。
薬師寺とか、長谷寺とかも全部がデカイですが、
これも意味するところがあるのです。
奈良は素晴らしいよ〜。

と・・脱線してしまいましたが・・

ソーマが大量に流れる体験を
ダーマ・メガ・サマディと呼びますが、
「ソーマの雨が大量に降る」という意味です。

神鳴りの後には大量の雨が降るように、
瞑想で起きる体験と自然現象は同じですね。

瞑想みのり

 

未来をつくれ!

こんにちは 瞑想みのりです。
昨日22日(木)は、
21時からオンライン瞑想質疑応答ライブでした。
10名の方が参加されました。

 

FBグループで、認識についての質問がありました。
ちょうど瞑想会で、良い事例がありましたので、
具体的に例を挙げてみたいと思います。 

(頂いた質問)
みのり先生に
「瞑想は体験と同時に起きている事への認識が重要」 
と言われました。
この意味がよくわかりません。

桃といえばあらかわ・・美味し。

(お答え) 認識とは、簡単には、瞑想の「空」を経験して、
日常の体験の中での「あっ!そうか!わかった!」
という理解の事です。

この間の瞑想会である方が 
「自分が引っ越す夢を見て、その家に行ってみたら、
とても広い家で、表札が違うから、すごすご帰った」と、
話していました。
使ってるマントラはクリシュナ・マントラです。

この時に
「あっ!わかった!これが
クリシュナの多次元宇宙か!
自分の知らない自分を発見するんだな!」と、
自分で理解できていたら、認識が進む事になりますが、

質問するまでは、自分では、
わからなかったの。
講師に聞いて初めて
「あっ!わかった!」に変わりましたよね。
わかったら、ここに向かって、
現実を形創る事が出来ます。
それを、していかないといけません。
何が何でもです。
時間をかけて良いから、 
ここは、あきらめないで行動するです。
自分でもまだ気づいてない、
気づかないふりをしている
ハートの深い望みだからです。

行動していかない時、
「瞑想してるけど、あまり変化がない」 と、
言い続ける事になるのです。

クリシュナは合図を送っている。 
わからないから、
何度もわかるまで、合図を送っている。
こんなに具体的で
分かりやすい瞑想はないと思います。

この事が、
わからないと(認識できないと) 
ここに行動を起こしていけないのです。 
夢を見たな。それも同じ夢を何度も見たな・・
ここで終わっちゃうの。

 

夢は通常は、
ストレスの解放で見るので、
分析する時間が無駄なほどのゴミです。

けれども悟りの意識状態では、
全く違う意味合いを持ちます。
知性の夢を見るのは、条件があります。
マインドが直接、空を経験していて、
なおかつ目覚めている状態である事。
マインドがクリアーである事。
知らない事があり悩んでいる場合、
または、知りたいと意識を向けている場合。

もしもあなたが、全知全能であれば、
知性も教える事がないから、
知性の夢は見ません。

これが普通の人が寝ている時に
見る雑夢ではなくて、 
「空」が日常の中に目覚めて
登場してる知性が教えている夢で、 
新しいご自分の未来だから
ゴミの夢ではありません。
ちゃんと、拾わなきゃ。

だから認識が瞑想の体験と同時に
とても大事なのです。

瞑想の講師は、
何の為に存在するのか?
私は、瞑想の受講生さんの、
認識を拡げる為に、
存在してると思っています。 
だから、何でも質問して、
講師を使い倒すの。
使い倒されても、
それは、瞑想の講師冥利に尽きます。 
「人が変化する姿を見れる」
それは何よりも嬉しい事なのです。

同じ瞑想をしている受講生さんが、 
新しい、自分の未来の可能性の中に
入っていく姿を見れるのは、
魂が震えるくらい嬉しい事なのですね。

認識が進んだ状態で、日常を生きる時、
自信を持って、瞑想を続けていけますね。
それは、必ず、容姿や行動にも出てきます。 
そこに年月が重なる時、
明らかに見た目に差が出ます。

マントラを沢山、持っていても、
認識が足りないと、 
それが外から見ても講師にはわかるのです。
「マントラ本当にそんなに持ってるの?」
(そんな風には見えない・・)と
見えてしまいます。

もちろん、マントラが沢山あることで、
固有の波動があり、
刺激がどれも違うから、 
その事で瞑想を続けられているのは、
とても良い事だと思いますよ。 
そこに講師との良好な人間関係を感じます。
否定はしないけれど、 それだけだともったいないの。

私は、
このフルフィルメント瞑想(ELM瞑想)の事を
「瞑想界のポルシェ」と呼んでいますが、
ポルシェは、そんなものでは、
終わりません。

マントラが、少なくても、
そこに 正しい認識があり、
日常の変化と照らし合わせて、
理解しながら進んでいたら、
私は、そちらの方が価値があると思っています。
講師からすると
「いぇ〜い!やったぁ〜!」 って感じかな?

なので、日々、認識を深めながら、
楽しくまいりましょう。

瞑想伝授&瞑想会は
奈良学園前で月1回開催してます。

瞑想みのり

 

天職と宇宙意識

こんにちは
今日は、レモンパイの写真にひかれて、
一人で京都祇園のカフェに
出かけておりました。うはっ!

万治カフェ

今日は瞑想で到達しうる悟りの意識状態。
神意識の前段階、
宇宙意識と仕事の事を、
少し書いておきましょう。

「空」は魂よりも深い領域ですから、
死んで肉体が無くなっても、
唯一、魂とともに、
持っていけるものなのですね。

だから、前世に、ヨギ
(瞑想の修行などをしていた人の意味)
だったり、お坊さんだったりして、
禅の伝統と繋がっていたりすると、
「瞑想初心者です」といいながら、
最初から、
大きな「空」を備えていたりします。
前世の続きを始めるかのように、
導かれて瞑想を始めるのです。
瞑想との出合いを、
心から魂が震えるように喜びます。

前世でなくても、沖縄には、
昔、TM瞑想の熱心な先生が
おられたみたいで、
私が、教えに行った時点で、
瞑想歴が、10年〜20年、
超えている人が沢山いました。
その人達に、
私は、フルフィルメント瞑想を
教えていました。

この人達は、
最初から
「大きな空」を備えていました。
ほんと、
続きを始めるような感じなのです。

こういう人達は、
特徴的に、エゴ(自我)が、
大きな空に飲み込まれているのですね。
エゴとは「自分を定義する心の事」です。

瞑想をした事がない人は、
思考を束にして、
「私とは◯◯」
というなじみのある思考を握りしめて、
それが自分だと定義しています。

私は◯◯学校出身です。
私は◯◯の仕事をしています。
私は◯◯の母親です。
こんな風に自分を定義しているのです。

宇宙意識の状態というのは、
「私は◯◯だ」
「私はコレが欲しい」
「私はコレをしたい」
こういう、
個人のエゴが「空」に
飲み込まれているのです。

 

これも、凄く面白い状態で、
「自分が無い」のですが、
宇宙も(世の中も)決して、
ほっておきません。

 

(神様(宇宙の知性)が存在するのは、
空のすぐキワ(際)ですから)
神様からも発見されてしまうので、
「私が・・」と、思わなくても、
世の中がやって欲しい仕事についていたり、
目の前にやってくる物事に乗っていく事が、
自分の天道(王道)だったりするのです。
多くの人が天職についていました。

「私が・・私が・・」と、
何1つアピールしない人達が、
実は、1番、世の中にも、
神様にも見つかっちまうの(笑)
面白いな〜と思います。

これが「空」の発達した状態。
宇宙意識の面白い点なのです。

天道とは、ダルマの道です。
自然の流れに乗ることです。
「ダルマ」とは、その道を歩む事で、
自分も喜びを感じるし、
周囲の人も喜びを感じるし、
だから宇宙が(世の中が)摩擦なく、
サポートしてくれる道です。

天職についてるというだけで、
宇宙に(世の中に)摩擦を起こさないのです。
素晴らしいことですよ。

瞑想してて、天職がわからないという人や、
天職を見つけたいと思う人は、
目の前にきてる仕事を、
心をこめて、一所懸命することです。

それが天職でいいし、
違うなら、必ずそこから時期が来た時、
違う道が出来ていきます。

瞑想をしながら、
時にニートのようになっている人いますけど、
これは、気をつけないといけません。
明らかに悟りとは方向性が逆です。

宇宙意識の状態では、
世の中にも見つかる。
神様にも見つかる。
だから「その人なりの道の上にいる」
これが正しい。

誰にも見つかってない時点で、
間違いに気づこう!(笑)

道を踏み外してる人も、
何とかしたいな〜と思って、
厳しい事だけど、書いてます。
間違った瞑想者の姿を、
本当の悟りの方向に変えたいな〜と、
思っています。

これはまた追々、詳しく書きますね。

瞑想みのりサイト&おみくじ
https://www.1satori.com/

 

上級者の瞑想は、初心者にも一番効果的なもの

梅雨ももうすぐ終わりそうですね。

今日は伝授&瞑想会でした。
名古屋や兵庫など遠方からも
沢山の人が訪れる楽しい瞑想会になりました。
ありがとうございました。


今日は、ランチの事、書いてみます。

メインは、キャベツメンチカツ。
油は、自然食品店のものを使ってます。

お味噌汁は白きくらげを入れました。
きくらげは、国産のものがいいですね。
今日は、高知の清流、
仁淀川の霧で育てた無農薬、
防腐剤なしのきくらげです。
きくらげは、
カルシウムや、食物繊維が豊富なので、
戻した水も使いたいところです。
中国産は、安いけど、
農薬や防腐剤が怖いので、戻した水が使えないの。
水溶性の栄養がもったいないですよね。

人間だけが、自由意思があり、
方向を変えることが出来ると
この間、ブログに書きましたが、
瞑想を教えている私が、料理をする。
こんな事も方向を変える事が出来る例で、
これは、人間だけが出来る特権なのです。
クリシュナマントラは、
自分の知らない自分を沢山発見しますので、
そこに動いていってくださいね。

食物の中の神の知性を無視して、
甘い梅干しとか、
食中毒が怖いからと、
滅菌しすぎたカット野菜とか、
火を入れすぎた蜂蜜とか、

ぼっとしてたら、
それ意味ないじゃん!ってものを
「身体にいいね」と言って、
食べていたりします。

せめて、
人間が事に仕える時(手仕事する時)
くらいは、
食物の中の神の知性を、
そのままに引き出してあげたいなと思ってます。

今日は、ひじきも砂糖を使わずに、
かつおぶしの出汁をひいて、
梅干しとレモンで攻めてみました。
本当に美味しいひじきは、身体がなれてくると、
砂糖は入れないほうが実は美味しいです。

次回の伝授&瞑想会は、8月8日(日)になります。
誰でも参加できますよ。
瞑想初心者の人でも簡単に続けられて、
とても深い経験がおきてくるのが、
この瞑想です。

上級者の瞑想は、
実は瞑想初心者にも一番良いものなのです。

サイトも少しずつUPしています。
https://www.1satori.com/

エゴが「空」にのみこまれる

発達していく神意識のお話の途中ですが、
前回は、反響が大きかったので、
つけたしです。

神様や悟ったマスター達の特徴、
人間との大きな違いは、
肉体の有無ではありません。
私にとっては、
神様やマスターというのは、
固有の個性を放っています。
キャラかなり濃いです。
肉体が無くても、
その人らしさ(神の知性)が
表現されていない人間の個人より、
よっぽど存在感がアリアリだったりします。

人間は、頭で考えすぎなのです。
表面上のマインドにいすぎるのです。
こうしたら、
好感が持たれるかな?とか、
ほめられるかな?とか、
下手な戦略をめぐらしたり、
結果、
神様みたいに固有の個性(神の知性)が放てずに、
誰かと同じようなふるまいや、
身なりになって、
表面的には、
人畜無害ないい人にはなれますけど、
これでは、
人間にも、神様からも、発見されません。

それだったら、
肉体が有っても無いのと同じでしょ。
と言いたいのです。

人間も「自分自身になる」ということ。
これでいいのです。
何かに遠慮しすぎないことです。

「何か?って何よ?」って感じでしょ。
フン!!

最近、みのり。
ブイブイ言いすぎだな(w)

早く旅行に行きたいね。写真は、ベトナムのハロン湾

旧フルフィルメント瞑想で使っていた、
女神のマントラは、
自分自身で在る事を、
まだ知らない人間よりも
肉体の有無を、退けるほど個性的ですよ。

神意識の象徴ラクシュミ(吉祥天)
という女神の絵は、
宝石をじゃらじゃらつけて、
派手に着飾っていますよね。
これもぼーっと見てちゃダメ。
神意識という、
人間が到達しうる意識の状態を表現しています。

派手じゃなくて、
欲深いじゃなくて・・
繁栄と豊かさの女神だけに、

宝石の中の神の知性と繋がってるから、
ふさわしいものを、
身につけてるだけなのです。
ラクシュミの普段着が、
ドレスに宝石なのです。

瞑想者とは、
エゴを断ち、欲を断ち、
こうあるべき という、
頭で考えた瞑想者の姿に囚われるのではなくて、
内側から動いてくる静寂からやってくる
「動く空」の衝動と、流れていきます。
そうすれば、必ず、
外側の世界に好奇心が向いていくはずです。

自然の美しさであったり、
自分の仕事であったり、
人様の仕事であったり、
それによって形作られた
現象界の物質などですね。
神の知性と、人間の知性の融合です。

ここにまだ興味がむいていかない状態というのは、
「もしかして、自分の「空」がダイナミックに
まだ動いてないのかもしれないぞ!と、
悟りの旅の途中じゃないか?」と、
洞察する事です。

 

うって変わって・・
叡智の女神、サラスワティ(弁財天)は、
全然、違う個性を放ちますよね。

サラスワティの絵には、
いつもお供に白鳥を連れていますけど、
白鳥は、水面を優雅に、動く鳥です。
白鳥と湖の水面は、マインドの鏡の象徴です。
思考をしずめて、マインドの鏡をクリアーにし、
優雅に、空と現象界をつないでいき、
これが統一意識へとむかっていくのです。
これも、人間が到達しうる意識の状態を
表現しています。

神意識の状態は、
エゴが「大きな空」に
飲み込まれた状態から、
質を変えて、
空とともにあるエゴに変化している状態です。

瞑想してない人の話す「エゴ、我欲」
とは、全く違う質のものになっているのです。

「エゴや我欲を捨てろ!」と、
言ってる時点で、その人は、
まだまだ悟りの旅の途中なの。
それを言ってる本人が、
エゴや我欲を捨てる課題がある
というだけの話です(w)

 

だから、「空」の経験が増してくると、
この話を聞く必要なし。
自分自身の方が心の内側の体験は
超えているのだから。

エゴを捨てるとか、我欲を捨てるとか、
考えすぎです。

 

捨てる時は、
自然に捨ててるし、
自然に出る時は
「もうエゴの質が変化している」
が正しいの。

 

だから、何にも遠慮せずに、
自分自身でいることです。

新しいプログラムでは、
最初ステップである、
ラブ・マントラでも、
ブラフマン意識からスタートなので、
瞑想歴が長くなっていたら、
その自分をほめて、たたえて、
信頼して、静寂からやってくる流れに乗っていくのです。

 

いつも真理はシンプルです。
「何かが足りない」
から、瞑想を始めないように。

おさらいに、
伝統的な人間が到達しうる意識の状態を
順を追って書いておきます。

・起きてる時の意識状態
・夢見てる時の意識状態(睡眠時)
・寝ている時の意識状態
・瞑想してる人の意識状態(空の直接経験に限る)
・宇宙意識
・神意識
・統一意識
・ブラフマン意識
・クリシュナ意識

 

ではまた次回は、
発達する神意識の続きがかけるかな?
瞑想会のごはんの事を書くかもしれないね。
今回すっ飛ばしたけど、
神意識の前段階である宇宙意識と
天職の事も
またどこかで書いてみたいと思っています。

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