心の鏡に何を映していますか?

今日は、クリシュナがツイッターおしの件。

これ書いてみたいと思います。

これは、何もクリシュナが
「ツイッターが良いよ」と
人間の会話のように
具体的に、
伝えてきてる訳ではありません。

こんな事を書くと、
「神様はしゃべらない」とか、
ムキになって、
言い出す人もいるかもしれないので、
それも正しいのです。

「そりゃそうだ!
しゃべらないと思っている 
あなたにむけては、しゃべらない(w)」

ただ、それだけの事です。

私に向けては、神様は時に、
しゃべるよ。聴こえるよ。(w)

 

「空」を経験する瞑想をしてる人は、
全く違う事を認識してるのです。
「神様はお友達」なのです。

 

神様と人間は、
大きく違うところがありますが、
似てるところもあります。
これは、今日、書くと長くなるので、
また追々。

 

1つだけ私が1番、
神様と人間の大きな違いを挙げるとすると、
肉体の有無よりも、
まずは、
うっとりするほど賢い。
知性的だという事。

 

こっちなのですね。

人間でも賢いなと思う人はいますね。
それは、思考的な賢さや、学歴であったり、
勉強する継続の力、集中力であったり、
良い習慣を持っています。
それは、素晴らしい事で、
私も人間の賢い人は大好きなのです。

けれども、神様の賢さは、
とてもクリアーで、
ずっと先が透けて見えている知性を備えています。

これは、
人間の中では、私は、
お目にかかったことはありません。
本当に探してもチョットいない感じなのです。
それで、神様が好きなのです。

神様という言葉に抵抗がある人は、
神様の事を「宇宙の知性」
と呼ぶと良いと思います。

それはそれは、
うっとりするような賢さなのです。

これは、
思考から来るものではなくて、
ハートの深くに在る仏性(ブッディ)と、
言われるもので、
すべての人の心の中にあります。

神という漢字は、
「示偏(しめすへん)に、申す」と書きます。
示(しめ)して申(もう)すもの。
これは、マントラの事ですやんかぁ!

 

長く瞑想してる
古代のヒマラヤのヨギ達には、
瞑想して、心の海に深くに潜る時、
マントラがきれいに整列して
存在するのが、見えたそうです。
(凄いですねークリアーだわ)

 

思考と私達が呼んでいるものは、
すべて「空」からやってきます。

思考の元をたどると、どこかから、
フツフツとやってきますね。

 

フツフツの源って、
どこなのか、考えたことありますか?
それは、すべての創造の源である
「空」から来ているの。

バナナは私のおやつです

「心の印象を映し出す鏡」の事を
マインドと言いますが、

多くの人は、瞑想を知らない時、
この鏡に、
外の世界に見えるものと、
「空」から浮上してきた
具体的な思考だけを映し出しているので、
鏡に映る印象を見て、
マインド=思考と呼んでいます。

ここから、瞑想して、
もっと心の海に深く潜る時、
今度は、この鏡に
感じる心であるハートを映し出していきます。
マインド=ハートに、
心の印象の質が変化してきます。

 

具体的な思考につかまって、
がんじがらめになっているところから、
「ちょっと待てよ。
いい感じがする。嫌な感じがする。
もう少し、様子を見てみよう」

こんな事を思うようになります。
心に多くの余裕が出てくる状態ですね。
瞑想する事で、心に余裕が持てて、
考える心と感じる心の違いが、
ハッキリ理解できるようになります。

 

そして、
ここからもっと心の海に深くに潜る時、
今度は、この鏡にハート深くの
神(宇宙の知性)を映し出すようになります。

ここまで来ると、
マインド=神(宇宙の知性)に、
心の印象の質が変化してきます。

この状態になるのは、
ある程度、瞑想によって、
マインドの印象を映す鏡が
「空」の無限の中で拡がっている事。
そして、この鏡が根深いストレスが取れて
クリアーである事。
これが、条件になります。

 

ここまでくると、実際に起きる事は、
自分の普段の思考に重なるように、
明らかに自分の思考とは別の
規模や発想の違う考えやアイデアが、
自分の中から浮上します。

この静寂の中からやってくる声に従って、
乗って動いていくような感じです。
私は、この体験を「神様がしゃべる」と
表現してますし、

固有の神様や
悟ったマスター達の名前にちなんで、
親愛の情を込めて、
クリシュナ・マインド、
ラクシュミ・マインド、
サラスワティ・マインド、
ババジ・マインドetc..と、
呼んでいるのです。
観音(タラ)からも色々教わります。

風や空気の中から聴こえる時は、
「静寂の声」と呼んでいます。
大地から聴こえる時は、
タイで有名な大地の女神にちなんで、
マザーアース(の声)と呼んでいます。

 

神様(宇宙の知性)は静寂の中に在りますから、
ベラベラとしゃべるわけではありません。

反対に、
人間が、ベラベラしゃべって、
頭の中がいっぱいで、
具体的な自分の思考につかまっている限りは、
神様の静寂の声が、かき消されて、
聴くことが出来ません。
現代人は、考えすぎですし、
どうでもいい話を、し過ぎるのです。

 

まずは頭の中のおしゃべりをやめて、
自分の中に静寂を時間を持つ事から
始めていきましょう。

その時に、
神様の伝えたい事、
おしゃべりが聴こえるのです。

瞑想みのり おみくじ&サイトはこちら
(まだ作成中です)

「もらってない」という勘違いの癒やし

今日はLINE@自宅瞑想会の瞑想体験から。
(頂いた質問)
今日は金色の箱の中から大きな透き通った青い宝石をもらいました。
手の載せてもらった宝石はどんどん大きくなって、
最終的には横に大きく広がっていきました。
それにあわせて金色の箱もどんどん大きくなっていきました。

最近受け取るものが高く伸びたり、
大きくなったり形が変容していくのがとても面白く、
またその光景が圧巻で、うわーとなります。

これは幻なのか?幻覚か???
でも、すごく嬉しいですし、楽しいです。

受け取るものが私の心の中なのに、
涙が出るほど嬉しいのは、なんでなのかなーと、
不思議ですが、本当にもらってるんだという
確信があるからこその涙なのだと思い、
これからも嬉しいものを、たくさん、
たくさん得て成長していきたいな思います。

(みのりひとこと)
涙が出るほど嬉しいのは・・
一つには「自分はもらってなかった」
この思いが強いとも言えます。
高さ形が大きさが、変わることで、
より「貰っている」の認識が深まりますよね。
「ほら〜こんなに貰ってるんだよ〜」
と、あなたの認識を変えたいのです。

今は
「貰ってないという勘違いの癒やし」
だから、この体験でOKです。

でも、ここからもっと成長してくるとしたら?

貰ってないも何もない。
自分が無尽蔵に持っているし、
自分が貰うのではなく、
もう、与える方にまわることなんですね。

与えるには、
自分が持ってないと出来ない極上の体験なのよ!

女神は無尽蔵に出してくるけど、
同時に、極上の体験をしているのですよ。
ここを目指すの!

貰ってないでも、貰うでもない。
一つ上の階層に、階段を上がろう!
誰かに与えるですね。

ぜひ、親孝行してみて下さい!
親孝行ってね。
親の為にしてると思いますよね。

私は、自分の為にしている
行為でもあると思うのです。
親孝行できるまでに成長してきた
自分の成長が嬉しいのです。

貰ってないでも、貰うでもない。
「与える」は、
「持ってることを認識せずにはいられない」
極上の体験なのです。

みのりサイト

知性は順番を間違えない

こんにちは
瞑想みのりです。
今日は、LINE@自宅瞑想会に頂いた質問から
LINE@は人が増えてきてるね。
嬉しいことです。

いってみよう!

(頂いた質問)
瞑想をしました。最初、目(自分の目だったような気がします)が目の前に現れて、見つめ合って瞑想しました。
そのあと、何回か別の目に変わり、見つめ合って瞑想しました。
わたし、実は、瞑想を終える時に女神からの金貨をもらえないことが多いのですが、これでいいのでしょうか。
最近、たまに、ティアラ(かんむり)をかぶせてもらいます。

(みのりコメント)
女神の知性は、順番を間違えないよ。

「お金」嫌いでしょ。
だから「金貨」もらえなくてもいいでしょ。
もっと言うと、お金を沢山持ってる人
(働く大人・稼ぐ男性)の事も・・
嫌いでしょ。
でもその人達を頼りにしないと生きていけない。
そんな自分も嫌いでしょ。

知性って、難しくない。
「知っている感覚の事」知ってるから、
まずは、豊かさを与える時、
女神は
「自分が嫌い」これを癒やさないとお金が循環しない事を知っているの。
ティアラは、尊厳です。まずは、自分を尊重しなさい。
認めなさい。愛しなさいです。

いつも、知性に遭遇する時、感じることがあります。
知性は順番を間違えないのです。
それはそれは・・うっとりするような賢さがあるのです。
その賢さに触れる時「美しいな」と感じる事があります。
そこに宇宙の秩序を感じるからです。

みのり サイトはこちら

モノ選びも、知性と知性が惹かれ合う感覚を大切にしよう

今日は、
繁栄のマントラへの質問ですね。

新婚さんで、家を探してるところなのですね。
奥さんはすでに、このマントラで瞑想をしている方です。
ご主人は、このGWに受講予定です。

●質問

「先週土地を見に行って、帰りに、瞑想をしたら、
金貨に混じって予想外の物を貰いました。

今日、紹介された土地がOKなら真珠、
もっと良い土地があればサファイアをお願いしたら
貰ったのは形は自分がイメージした、
サファイアの形で、素材がコットンパールの宝石でした。

今はコットンパールだけどいずれパールになるのか。
力不足で今は無理なのか、今はまだ買わない方が良いのか。
思い当たるのはこの3パターンです。解釈が分かりません。
ちなみに、夫はこの土地を、気に入っています。

どうしたらいいでしょうか?

●お答え
まずは、このGWにご主人が瞑想伝授を受けて、
瞑想をはじめる訳ですよね。

もしも私が、この立場ならば、
伝授の後に、土地を選びますね。
その方が、絶対に、いい買い物が出来ますよ。
というか「今、してはいけません」とさえ、
言っておきましょう(笑)
住居は、間違うことの出来ない大きな買い物ですからね。

だから、もしも、その前にこの土地が、
誰か人に決まってしまうなら、
それはそれでいいのです。縁がないのです。

このマントラは、
人間の暮らしの基本である「衣・食・住」には、
本当に強いマントラです。
ここから起きてくる受講生さんの体験も沢山聴いてますが、
引っ越しや住居選びには、めっぽう強いです。

 

自分の中の知性と、
物質の中の知性が引き合う時の感覚というのは、
それは、間違いようのない、
ぴったりくる感覚があるものです。
知性とは「知っている感覚」の事です。

 

どこかで、一箇所、妥協するとか、
悩むとかありえないのです。
話を聴いていると、
今、それ(知性から来るしっくり感)が、
感じられないのですね。
だから、スルーですね。

 

ぴったり来る感覚というのは、
例えば、洋服であれば、

自分の為に、
この洋服は製造されたのかしら?と思うほど、
自分に似合う服が、引き寄せられてくる感じです。

 

住居であれば、
この物件は私が住まうために、
今、空室になったのか?と思うほど、
気に入るし、予算もピッタリだし、
嬉しい感覚というか、
次を探そうとか、悩むとかそれすら無いのです。

 

夫婦で探している場合は、
どちらかが反対するとかでは、
絶対に違うのです。
二人が声を揃えて「これ!」と、
指さして迷わず決めてしまう感覚で、
しっくり来る。困難もない。
とにかく「知っている感覚」なのです。

 

選ぶ理由は「だってこれだから」
としか言いようがない感覚なのです。
これは、体験したらわかるのです。

 

住居は、土地と建物が揃ってはじめて、
成り立ちますね。

ちょうど、指輪の、宝石に価値があっても、
それをはめるワクに合わないと成り立ちません。

 

真珠というのは、多くの人が、
この瞑想の中で、ビジョンとしてみます。

 

日本においては、深層意識にある、
特別な祝福の象徴の一つが真珠です。
日本の皇室は、必ず、祝の席では真珠ですね。

 

コットンパールは偽物です。
どこまでいっても・・
明らかに、パールとは違うものです。

 

この土地が、悪くないとしても、
予算的に合わないとか
(建物に資金がまわらないとか、業者が違う)

とにかくバランスが取れないのです。

 

みのりサイト

 

瞑想で不倫を辞めることはできますか?

今日は、
ニュースレターの登録時に頂いたご質問です。

「瞑想で不倫を辞めることはできますか?」

天河はまだ満開でした

お答え:

瞑想みのりで教えている瞑想は、
深い「空」の経験をしていく瞑想です。
「空」は創造主であり「本当の自分」です。

この瞑想の「空」から物事を見る時は、
世間一般で言われている「善・悪」
という判断を超えた、
創造主としての認識が育っていきます。

創造主からすると、善・悪はなく、
創造的(動いてる、変化)か、
創造的でないか(止まっている、停滞してる)

このどちらかなのです。

なので、もしも、創造主から見る、
何か良からぬ問題があるとしたら、
それは「なにも動き、経験がないこと」
「死んでるように生きること」
だけであり、

動いた先の、結末が、まずかろうが、
災難だろうが、失敗にしか見えなかろうが、
すべてはOK。でしかないのですね。
起きてくる事に「悪」という
判断をしているのは、 
人間の小さなマインドだけなのです。

あなたが創った「不倫の恋」
というシナリオから、
この先、何が起きてくるのか?
そんな話はいくらでもさせていただきますよ。

けれども、
ご自分が不倫の恋をやめたいというのはあれば、
創造主である、自分自身が
この恋愛のシナリオをつくり
そこから登場すること選択しているので、
このシナリオから、降板する時も、
また自分の意志と、選択でもって、
出ようとする必要があるのです。

瞑想には 善悪の判断がないからこそ、
私達を世間のルールを超えた、
自由に連れて行ってくれます。
けれども、自由を選択する時、
自分の創造した事や選択に
責任を持つ必要があるのです。

不倫の恋というシナリオには、
登場人物が必ず最低3人登場します。

「奪われる人」
「愛する人」
「奪う人」

多くの不倫をされている方が、
相談の時に、なぜか笑っているのですね。

おそらく、その恋が楽しく、
自分がまさか、このシナリオの
「奪ってる人」を演じてるとは、
思っていないからです。

どちらかと言えば、
「愛する人」を
演じていると、思っています。

ここは間違えてはいけません。
配役では「奪う人」を演じました。

では、次は、
同じシナリオで演じる配役が変わります。
今度は「奪われる人」を演じます。

人に興味が無いなら、
金品や家かもしれませんし、
仕事かもしれませんし、
とにかく「奪われる人」を演じきるのです。

瞑想的に言えば、
奪う人を演じきったように、
奪われる人を演じきればいい。
それでOK.
となります。
「そこに善悪の判断はなく、経験があるから」です。

しかし、「奪われる人」を演じる段階になって、
初めて、マインドの小さな判断で、
「嫌だこの配役は、演じたくない」と思うのです。

本当に、嫌なのであれば、早く、
この自分が創り出したシナリオそのものから、
降板することなのです。

みのりサイト