悟った人を見分ける方法があるとしたら?4

こんにちは
瞑想みのりです。
今日も、悟った人を見分ける方法シリーズ

奈良散歩

「空」を長年経験してる人にとっては、
じわじわ 面白い話だと思うんだけどね。
第4弾でいってみよう!

悟り(目覚め)って・・「直感が鋭い」
どころの話ではないのです。
再現性は毎日ですから(笑)

単にそのまんまを見てるし、聴いてるのです。
それをブッダは、目覚めと呼ばずに
「タターガタ」と呼びました。

「タターガタ」の意味も間違えてはいけません。
「如来」などと訳された日には、
自分とほど遠い世界の事だと誤解してしまいます。
(決して、間違いではありませんけどね。
悟りは、菩薩として、如来として目覚めた
知覚で生きる事ですから!)

瞑想してる皆さんは、自分の身に起こる事だと、
理解してくださいね。実際に起きてますので
事例も載せておきますね。

 

目覚めた意識はとても静寂で目覚めています。
まるでクリアーな湖面のような意識の目覚めです。

 

だから、誰かが石でも投げて波紋ができないと、
静寂すぎて目覚めていることにさえ、
気づかないでしょう。

私が、悟りの条件に、
「何らかの人間関係がある事」を挙げるのは、
人のリアクションで、はじめて自分の悟りに気づくのです。
何でもいいから湖面に石を投げてくれる人が
必要なのです。

目覚めた意識が透けて通っていき、
単にそのまんまを見てるし、聴いてるのですが、
そのまんまの意味は、
バラ色の世界を見てるのとは違いますが、
人が見てるものまでそのまんま。
人が心の中で話してることまでそのまんまの意味です。

聴覚の場合は、
心の中で思う言葉と、実際に口に出して伝える言葉は、
すこしだけ違いがあります。

心の中で思う言葉は、
まだ本人だけが心の中で思ってる言葉なので、
主語や述語がありません。
例えば「重い」と言われても、
体重が重いのか?
心が重いのか?聴いてる方には違いが分かりません。

でもこれが「タターガタ」です。

特に悟りに気づく初期の頃は、
人の殺気や怒りなどが分かりやすいです。
これらは、湖面に投げられた大きめの石のようなもので、
波紋が大きく広がるから悟りの初期には気づきやすいのです。

悟りの話で、剣の達人が、
寝ている時に、クセモノに襲われそうになったら、
すぐに気づいて、相手を切りつけることが事が出来る。
なぜなら目覚めているから。という話がありますが、
これは、本当でもあるけれど、少し違います。

本当に、悟っていたら、そのクセモノが、
剣の練習をしている時点で「襲ってやるぞ!」
という意図を持ちながら練習している。
その意識を、先に、キャッチしていますし、
それがもしも、顔を知っている人であれば、
目覚めた視覚がそのまま見ますので、
誰なのか特定していますし、
声を聴いていたら、声色や声の特徴を目覚めた
聴覚が聴いてるので、
誰なのかある程度の見当がつくでしょう。

これが悟り(意識の目覚め)ですね。
クセモノに部屋の中に来られてから気づくのは、
遅いねん!

受講生さんの面白い話ですが、
ある時、実家に泥棒が入る意図を
目覚めた視覚で見たのですね。

 

それで、実家に「泥棒に気をつけて!」と
電話して伝えたけれど、
家族が、真剣に気に留めておらず、
実際に泥棒にはいられてしまったの。
(残念ながら・・)

そしたら、また泥棒に入られる意図を見て、
再度、電話で伝えたら、今度は2回目なので、
家族も聞き入れて、セコムをしましたとさ。

単に目覚めた意識は
「泥棒にはいるぞ〜」って泥棒の強い意図を
聴いてる(または、目覚めた視覚の場合は見てる)
だけなのです。

これがタターガタです。
普通の聴覚や視覚と違う点は、
目覚めた意識は、広大に目覚めているので、
距離が遠くても、心の中の言葉も見てるし、
聴いています。

瞑想みのり
次回の伝授&瞑想会は3月13日(日)です。
瞑想はじめてみたい方、
誰でも簡単に始められます。

天職と宇宙意識

こんにちは
今日は、レモンパイの写真にひかれて、
一人で京都祇園のカフェに
出かけておりました。うはっ!

万治カフェ

今日は瞑想で到達しうる悟りの意識状態。
神意識の前段階、
宇宙意識と仕事の事を、
少し書いておきましょう。

「空」は魂よりも深い領域ですから、
死んで肉体が無くなっても、
唯一、魂とともに、
持っていけるものなのですね。

だから、前世に、ヨギ
(瞑想の修行などをしていた人の意味)
だったり、お坊さんだったりして、
禅の伝統と繋がっていたりすると、
「瞑想初心者です」といいながら、
最初から、
大きな「空」を備えていたりします。
前世の続きを始めるかのように、
導かれて瞑想を始めるのです。
瞑想との出合いを、
心から魂が震えるように喜びます。

前世でなくても、沖縄には、
昔、TM瞑想の熱心な先生が
おられたみたいで、
私が、教えに行った時点で、
瞑想歴が、10年〜20年、
超えている人が沢山いました。
その人達に、
私は、フルフィルメント瞑想を
教えていました。

この人達は、
最初から
「大きな空」を備えていました。
ほんと、
続きを始めるような感じなのです。

こういう人達は、
特徴的に、エゴ(自我)が、
大きな空に飲み込まれているのですね。
エゴとは「自分を定義する心の事」です。

瞑想をした事がない人は、
思考を束にして、
「私とは◯◯」
というなじみのある思考を握りしめて、
それが自分だと定義しています。

私は◯◯学校出身です。
私は◯◯の仕事をしています。
私は◯◯の母親です。
こんな風に自分を定義しているのです。

宇宙意識の状態というのは、
「私は◯◯だ」
「私はコレが欲しい」
「私はコレをしたい」
こういう、
個人のエゴが「空」に
飲み込まれているのです。

 

これも、凄く面白い状態で、
「自分が無い」のですが、
宇宙も(世の中も)決して、
ほっておきません。

 

(神様(宇宙の知性)が存在するのは、
空のすぐキワ(際)ですから)
神様からも発見されてしまうので、
「私が・・」と、思わなくても、
世の中がやって欲しい仕事についていたり、
目の前にやってくる物事に乗っていく事が、
自分の天道(王道)だったりするのです。
多くの人が天職についていました。

「私が・・私が・・」と、
何1つアピールしない人達が、
実は、1番、世の中にも、
神様にも見つかっちまうの(笑)
面白いな〜と思います。

これが「空」の発達した状態。
宇宙意識の面白い点なのです。

天道とは、ダルマの道です。
自然の流れに乗ることです。
「ダルマ」とは、その道を歩む事で、
自分も喜びを感じるし、
周囲の人も喜びを感じるし、
だから宇宙が(世の中が)摩擦なく、
サポートしてくれる道です。

天職についてるというだけで、
宇宙に(世の中に)摩擦を起こさないのです。
素晴らしいことですよ。

瞑想してて、天職がわからないという人や、
天職を見つけたいと思う人は、
目の前にきてる仕事を、
心をこめて、一所懸命することです。

それが天職でいいし、
違うなら、必ずそこから時期が来た時、
違う道が出来ていきます。

瞑想をしながら、
時にニートのようになっている人いますけど、
これは、気をつけないといけません。
明らかに悟りとは方向性が逆です。

宇宙意識の状態では、
世の中にも見つかる。
神様にも見つかる。
だから「その人なりの道の上にいる」
これが正しい。

誰にも見つかってない時点で、
間違いに気づこう!(笑)

道を踏み外してる人も、
何とかしたいな〜と思って、
厳しい事だけど、書いてます。
間違った瞑想者の姿を、
本当の悟りの方向に変えたいな〜と、
思っています。

これはまた追々、詳しく書きますね。

瞑想みのりサイト&おみくじ
https://www.1satori.com/

 

上級者の瞑想は、初心者にも一番効果的なもの

梅雨ももうすぐ終わりそうですね。

今日は伝授&瞑想会でした。
名古屋や兵庫など遠方からも
沢山の人が訪れる楽しい瞑想会になりました。
ありがとうございました。


今日は、ランチの事、書いてみます。

メインは、キャベツメンチカツ。
油は、自然食品店のものを使ってます。

お味噌汁は白きくらげを入れました。
きくらげは、国産のものがいいですね。
今日は、高知の清流、
仁淀川の霧で育てた無農薬、
防腐剤なしのきくらげです。
きくらげは、
カルシウムや、食物繊維が豊富なので、
戻した水も使いたいところです。
中国産は、安いけど、
農薬や防腐剤が怖いので、戻した水が使えないの。
水溶性の栄養がもったいないですよね。

人間だけが、自由意思があり、
方向を変えることが出来ると
この間、ブログに書きましたが、
瞑想を教えている私が、料理をする。
こんな事も方向を変える事が出来る例で、
これは、人間だけが出来る特権なのです。
クリシュナマントラは、
自分の知らない自分を沢山発見しますので、
そこに動いていってくださいね。

食物の中の神の知性を無視して、
甘い梅干しとか、
食中毒が怖いからと、
滅菌しすぎたカット野菜とか、
火を入れすぎた蜂蜜とか、

ぼっとしてたら、
それ意味ないじゃん!ってものを
「身体にいいね」と言って、
食べていたりします。

せめて、
人間が事に仕える時(手仕事する時)
くらいは、
食物の中の神の知性を、
そのままに引き出してあげたいなと思ってます。

今日は、ひじきも砂糖を使わずに、
かつおぶしの出汁をひいて、
梅干しとレモンで攻めてみました。
本当に美味しいひじきは、身体がなれてくると、
砂糖は入れないほうが実は美味しいです。

次回の伝授&瞑想会は、8月8日(日)になります。
誰でも参加できますよ。
瞑想初心者の人でも簡単に続けられて、
とても深い経験がおきてくるのが、
この瞑想です。

上級者の瞑想は、
実は瞑想初心者にも一番良いものなのです。

サイトも少しずつUPしています。
https://www.1satori.com/

エゴが「空」にのみこまれる

発達していく神意識のお話の途中ですが、
前回は、反響が大きかったので、
つけたしです。

神様や悟ったマスター達の特徴、
人間との大きな違いは、
肉体の有無ではありません。
私にとっては、
神様やマスターというのは、
固有の個性を放っています。
キャラかなり濃いです。
肉体が無くても、
その人らしさ(神の知性)が
表現されていない人間の個人より、
よっぽど存在感がアリアリだったりします。

人間は、頭で考えすぎなのです。
表面上のマインドにいすぎるのです。
こうしたら、
好感が持たれるかな?とか、
ほめられるかな?とか、
下手な戦略をめぐらしたり、
結果、
神様みたいに固有の個性(神の知性)が放てずに、
誰かと同じようなふるまいや、
身なりになって、
表面的には、
人畜無害ないい人にはなれますけど、
これでは、
人間にも、神様からも、発見されません。

それだったら、
肉体が有っても無いのと同じでしょ。
と言いたいのです。

人間も「自分自身になる」ということ。
これでいいのです。
何かに遠慮しすぎないことです。

「何か?って何よ?」って感じでしょ。
フン!!

最近、みのり。
ブイブイ言いすぎだな(w)

早く旅行に行きたいね。写真は、ベトナムのハロン湾

旧フルフィルメント瞑想で使っていた、
女神のマントラは、
自分自身で在る事を、
まだ知らない人間よりも
肉体の有無を、退けるほど個性的ですよ。

神意識の象徴ラクシュミ(吉祥天)
という女神の絵は、
宝石をじゃらじゃらつけて、
派手に着飾っていますよね。
これもぼーっと見てちゃダメ。
神意識という、
人間が到達しうる意識の状態を表現しています。

派手じゃなくて、
欲深いじゃなくて・・
繁栄と豊かさの女神だけに、

宝石の中の神の知性と繋がってるから、
ふさわしいものを、
身につけてるだけなのです。
ラクシュミの普段着が、
ドレスに宝石なのです。

瞑想者とは、
エゴを断ち、欲を断ち、
こうあるべき という、
頭で考えた瞑想者の姿に囚われるのではなくて、
内側から動いてくる静寂からやってくる
「動く空」の衝動と、流れていきます。
そうすれば、必ず、
外側の世界に好奇心が向いていくはずです。

自然の美しさであったり、
自分の仕事であったり、
人様の仕事であったり、
それによって形作られた
現象界の物質などですね。
神の知性と、人間の知性の融合です。

ここにまだ興味がむいていかない状態というのは、
「もしかして、自分の「空」がダイナミックに
まだ動いてないのかもしれないぞ!と、
悟りの旅の途中じゃないか?」と、
洞察する事です。

 

うって変わって・・
叡智の女神、サラスワティ(弁財天)は、
全然、違う個性を放ちますよね。

サラスワティの絵には、
いつもお供に白鳥を連れていますけど、
白鳥は、水面を優雅に、動く鳥です。
白鳥と湖の水面は、マインドの鏡の象徴です。
思考をしずめて、マインドの鏡をクリアーにし、
優雅に、空と現象界をつないでいき、
これが統一意識へとむかっていくのです。
これも、人間が到達しうる意識の状態を
表現しています。

神意識の状態は、
エゴが「大きな空」に
飲み込まれた状態から、
質を変えて、
空とともにあるエゴに変化している状態です。

瞑想してない人の話す「エゴ、我欲」
とは、全く違う質のものになっているのです。

「エゴや我欲を捨てろ!」と、
言ってる時点で、その人は、
まだまだ悟りの旅の途中なの。
それを言ってる本人が、
エゴや我欲を捨てる課題がある
というだけの話です(w)

 

だから、「空」の経験が増してくると、
この話を聞く必要なし。
自分自身の方が心の内側の体験は
超えているのだから。

エゴを捨てるとか、我欲を捨てるとか、
考えすぎです。

 

捨てる時は、
自然に捨ててるし、
自然に出る時は
「もうエゴの質が変化している」
が正しいの。

 

だから、何にも遠慮せずに、
自分自身でいることです。

新しいプログラムでは、
最初ステップである、
ラブ・マントラでも、
ブラフマン意識からスタートなので、
瞑想歴が長くなっていたら、
その自分をほめて、たたえて、
信頼して、静寂からやってくる流れに乗っていくのです。

 

いつも真理はシンプルです。
「何かが足りない」
から、瞑想を始めないように。

おさらいに、
伝統的な人間が到達しうる意識の状態を
順を追って書いておきます。

・起きてる時の意識状態
・夢見てる時の意識状態(睡眠時)
・寝ている時の意識状態
・瞑想してる人の意識状態(空の直接経験に限る)
・宇宙意識
・神意識
・統一意識
・ブラフマン意識
・クリシュナ意識

 

ではまた次回は、
発達する神意識の続きがかけるかな?
瞑想会のごはんの事を書くかもしれないね。
今回すっ飛ばしたけど、
神意識の前段階である宇宙意識と
天職の事も
またどこかで書いてみたいと思っています。

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発達していく神意識

こんにちは
みのりです。

フィットネスクラブで飾っていたお花が
あまりにもきれいだったので、
写真を撮らせていただきました。

人間も 自分らしく!

ユリはユリとして、
紫陽花は紫陽花として、
カーネーションはカーネーションとして、
見事に咲いています。
神の知性というのは、
方向を変えることは出来ません。
ユリが突然、
カーネーションになろうという事は出来ないのです。
人間は神と違って、自由意思があるので、
(良くも悪くもですが)
方向を変えることが出来ます。

 

人間も自分の中の神の知性に気づいて、
自分自身になるということが、大切だな
いつも花をみて、感じます。

仕事とは「事に仕える」と、書きますが、
この花を育てた人、土や肥料屋さん、
花屋さん、花を生けた、フラワーアレンジの人、
花瓶を創った人、空間を設計した人、
掃除をした人、
この写真は、アイフォンで撮影しましたが、
アイフォンを開発した人、などなど、
ここに、沢山の、人間の仕事が介在しています。
そこに気づき、注意をはらえるということ。
世界は美しいですね。これが神意識です。

宇宙意識の状態というのは
「空」から物事を目撃してるだけです。
興味は、まだまだ、
本当の自分である「空」にあるだけの状態です。

これも素晴らしい状態ですが、
ここは、砂漠の意識状態とも言われています。
早く、かけ抜けて、
世界とつながったほうが良いのです。

人間の5感覚(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)が、
大きな「空」にすっぽりと、一時的に飲み込まれるからです。
これは、悟りの意識状態の旅の途中でしかありません。

ここから、「空」が、動き出して、
外側の現象の世界にシャクティとして登場する時、
5感覚が、外側の世界の神の知性にも、
はっきりと気づくようになる状態が、神意識です。
宇宙意識が外側の世界に興味がない状態とすると、
神意識は、
好奇心が外側の世界に向かいます。

神意識の最初の状態は、
現象界の物質の輪郭がはっきりしてて、
世界がキレイに見えます。
「自然が美しいな〜」と感じたり、
自分にピッタリ合う、人間関係や、
物質が引き寄せられてきますね。
自分の中の神の知性と、
物質の中の神の知性が磁石のように反応するので、

瞑想を始めると、
洋服の好みが変化したり、
インテリアを自分に合うものに変えたり、
多くの人が住まいを変えるというのも、
色んな人から聞かれる体験です。

神の知性にハッキリ気づいている人というのは、
外から見てても素敵だなと思います。
それは「自分をよく知っている」からですね。

感覚が目覚めており、
上手に自分を表現する、
洋服やアクセサリーを見つけてきたり、
物を大切にしますね。

安いからコレを買うとか、
高いからコレを買うとか、
頭で物を購入しているのではなくて、
神の知性から物を買います。

たまに大金持ちの女性が、
エルメスのバーキンを100個くらい持っていたり、
ブランドの靴を1000足くらい揃えていたり、
TVで放映してますけど、
1年は、365日しかないのに、どうする気だろう?と、
思ってしまいます。

場合によっては、
自分を見失っているのかもしれませんよ。

バーキンが、かわいそう!
1個、私にちょうだい!(w)

反対に、男性の例で挙げると、
所ジョージが、アメリカ車が好きで、
集めている。
こういう話を聞くと、
「あぁ自分(に合うもの)を、
よく知っている人だな・・」と好感を持ちますね。

アメリカ車というのは、
私の中の神の知性とは引き合わないので、
全然、興味がありませんが、
この人には、ピッタリ合ってますよね。

こういう人は、
物を購入する事だけではなく、
自分の心(特にハートの中の神の知性)と、
繋がって、
何を仕事にしたら、
誰と一緒にいたら、
自分が幸せを感じるのか?
不幸と感じるのか?
こういう事も、
上手に選択していると思いますよ。

自分自身になるって、
外側の世界も含めての話です。

私は(全ての物質)家電製品なども、
生き物ではないけれど、
まるで生きているかのように、
壊れるまで使うことが多いです。
そこに神の知性を感じるからです。
壊れた時は「今までありがとう!」と、
言ってしまいます。

冷蔵庫の中のものも、
あまり捨てないです。
以前のパートナーが、
私が食材を捨てずに使い切る事は、
よく褒めていましたが、
(そこしか、褒めるところないのか!)
やっぱり、生き物だから、物質以上に、
神の知性はハッキリしています。
たまに、かなりの賞味期限切れで、
こりゃいかん!
って捨てる事もありますけどね。

 

神意識でも世界と繋がるので、
分離感はなくなりますが、
じゃあ、ブラフマン意識とはどう違うのか?

フルフィルメント瞑想(ELM瞑想)の
ラブ・マントラから始まるステップは、
神意識の上の段階、
ブラフマン意識からスタートします。

ブラフマン意識に神意識が加わる時、
神意識は、さらに上級の神意識に発達していきます。
これが面白いですね。

この話は、また長くなったので、
また今度。
今日もめいっぱい楽しみましょう。

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心の鏡に何を映していますか?

今日は、クリシュナがツイッターおしの件。

これ書いてみたいと思います。

これは、何もクリシュナが
「ツイッターが良いよ」と
人間の会話のように
具体的に、
伝えてきてる訳ではありません。

こんな事を書くと、
「神様はしゃべらない」とか、
ムキになって、
言い出す人もいるかもしれないので、
それも正しいのです。

「そりゃそうだ!
しゃべらないと思っている 
あなたにむけては、しゃべらない(w)」

ただ、それだけの事です。

私に向けては、神様は時に、
しゃべるよ。聴こえるよ。(w)

 

「空」を経験する瞑想をしてる人は、
全く違う事を認識してるのです。
「神様はお友達」なのです。

 

神様と人間は、
大きく違うところがありますが、
似てるところもあります。
これは、今日、書くと長くなるので、
また追々。

 

1つだけ私が1番、
神様と人間の大きな違いを挙げるとすると、
肉体の有無よりも、
まずは、
うっとりするほど賢い。
知性的だという事。

 

こっちなのですね。

人間でも賢いなと思う人はいますね。
それは、思考的な賢さや、学歴であったり、
勉強する継続の力、集中力であったり、
良い習慣を持っています。
それは、素晴らしい事で、
私も人間の賢い人は大好きなのです。

けれども、神様の賢さは、
とてもクリアーで、
ずっと先が透けて見えている知性を備えています。

これは、
人間の中では、私は、
お目にかかったことはありません。
本当に探してもチョットいない感じなのです。
それで、神様が好きなのです。

神様という言葉に抵抗がある人は、
神様の事を「宇宙の知性」
と呼ぶと良いと思います。

それはそれは、
うっとりするような賢さなのです。

これは、
思考から来るものではなくて、
ハートの深くに在る仏性(ブッディ)と、
言われるもので、
すべての人の心の中にあります。

神という漢字は、
「示偏(しめすへん)に、申す」と書きます。
示(しめ)して申(もう)すもの。
これは、マントラの事ですやんかぁ!

 

長く瞑想してる
古代のヒマラヤのヨギ達には、
瞑想して、心の海に深くに潜る時、
マントラがきれいに整列して
存在するのが、見えたそうです。
(凄いですねークリアーだわ)

 

思考と私達が呼んでいるものは、
すべて「空」からやってきます。

思考の元をたどると、どこかから、
フツフツとやってきますね。

 

フツフツの源って、
どこなのか、考えたことありますか?
それは、すべての創造の源である
「空」から来ているの。

バナナは私のおやつです

「心の印象を映し出す鏡」の事を
マインドと言いますが、

多くの人は、瞑想を知らない時、
この鏡に、
外の世界に見えるものと、
「空」から浮上してきた
具体的な思考だけを映し出しているので、
鏡に映る印象を見て、
マインド=思考と呼んでいます。

ここから、瞑想して、
もっと心の海に深く潜る時、
今度は、この鏡に
感じる心であるハートを映し出していきます。
マインド=ハートに、
心の印象の質が変化してきます。

 

具体的な思考につかまって、
がんじがらめになっているところから、
「ちょっと待てよ。
いい感じがする。嫌な感じがする。
もう少し、様子を見てみよう」

こんな事を思うようになります。
心に多くの余裕が出てくる状態ですね。
瞑想する事で、心に余裕が持てて、
考える心と感じる心の違いが、
ハッキリ理解できるようになります。

 

そして、
ここからもっと心の海に深くに潜る時、
今度は、この鏡にハート深くの
神(宇宙の知性)を映し出すようになります。

ここまで来ると、
マインド=神(宇宙の知性)に、
心の印象の質が変化してきます。

この状態になるのは、
ある程度、瞑想によって、
マインドの印象を映す鏡が
「空」の無限の中で拡がっている事。
そして、この鏡が根深いストレスが取れて
クリアーである事。
これが、条件になります。

 

ここまでくると、実際に起きる事は、
自分の普段の思考に重なるように、
明らかに自分の思考とは別の
規模や発想の違う考えやアイデアが、
自分の中から浮上します。

この静寂の中からやってくる声に従って、
乗って動いていくような感じです。
私は、この体験を「神様がしゃべる」と
表現してますし、

固有の神様や
悟ったマスター達の名前にちなんで、
親愛の情を込めて、
クリシュナ・マインド、
ラクシュミ・マインド、
サラスワティ・マインド、
ババジ・マインドetc..と、
呼んでいるのです。
観音(タラ)からも色々教わります。

風や空気の中から聴こえる時は、
「静寂の声」と呼んでいます。
大地から聴こえる時は、
タイで有名な大地の女神にちなんで、
マザーアース(の声)と呼んでいます。

 

神様(宇宙の知性)は静寂の中に在りますから、
ベラベラとしゃべるわけではありません。

反対に、
人間が、ベラベラしゃべって、
頭の中がいっぱいで、
具体的な自分の思考につかまっている限りは、
神様の静寂の声が、かき消されて、
聴くことが出来ません。
現代人は、考えすぎですし、
どうでもいい話を、し過ぎるのです。

 

まずは頭の中のおしゃべりをやめて、
自分の中に静寂を時間を持つ事から
始めていきましょう。

その時に、
神様の伝えたい事、
おしゃべりが聴こえるのです。

瞑想みのり おみくじ&サイトはこちら
(まだ作成中です)