願いが叶う恐怖を感じよう

前回は、多くの人が願うタラ・タントラでの
お金の具現化について書きました。

東北旅 田んぼアート

まずはお金が出ていく恐怖に慣れること、
その流れを止めないことなのです。
多くの人が願った事が叶った時の
心地よさだけをイメージしています(笑)
本当に具現化するときは、もっと身近に迫っているので、
恐怖が起きてくるはずなのです。

自営業の人が集客を願う時も同じです。
実際に「お客さんが来て欲しい」と思うけれど、
本当に、お客さんが押し寄せる恐怖には、慣れていません。
何が起きるか体感さえもわからないのです。
タラは先に体感させます。
そして、自然の流れも重要ですね。

私は一度に一番多くの人に瞑想を教えた経験は、
東京の高田馬場で開催していた時の25名でした。
だからよく知っている人の25名までは一切、
怖くないし緊張しません。慣れているからです。
けれども、瞑想の合同のWSで、知らない人達、
50人くらいの前で立って、
はじまりの挨拶する機会を頂いた事があります。
足は自発動で震えました。
心理学の周年記念パーティで、挨拶したときは、
もっと多い250人の前で、集客の話をしましたが、
両足ブルブル自発動がおきました。

100名規模の大勢のお客さんに囲まれる経験に
慣れてないからです。
タラであれば、恐怖に慣れる事が、
先に起きてくるでしょうね。
これがリアルな具現化だからです。

実際に、
「瞑想に人が沢山来ますように・・」と
タラにお願いした事があります。

その時は、
すごいエネルギーが、頭頂から丹田まで降りて行き、
丹田から、外側の世界に出て行きました。
100%具現化する事がわかりました。
99%とかではありません。
100%の内側の体感と確信が伴っていました。

エネルギーって無色透明で見えないはず
なのですが、見えたのです!
ごごごごーって音がしたので、
びっくりして目を開けてしまい。
シャクティが外の世界に出て行ったのが分かりました。

だから、丹田というのは、
具現化(創造)に重要な場所だと私は感じています。

その体験の後からは恐怖と戸惑いしかありません。
自分が願った事にも関わらず、
人が大勢やってくる事に、100%の確信を伴っていたので、

椅子が足りるのか?トイレが1つで足りるのか?
玄関チャイムの押し間違い多発での近隣住民からの
苦情があるかもしれない事を受け入れる覚悟とか、
そういう自分の中の恐怖を受け入れていく作業が
起きてくるのです。これに慣れる事が具現化なのです。

今回は、せっかくなので、1億円は見た事がないので、
これをタラにお願いしてみましたの(笑)

以前の「また札束か・・」の時とは、
全然、体験が違いましたね。
自分の内側の大きなフィールドで
エネルギーが静かに回っているのを感じました。
タラからすれば、
すでに内側には1億円があるようです(笑)
(どこに〜!って叫びたいわ!)

とにかく出てくる動きには従う方がいいので、
シャクティの流れに従って、
青春18切符を買って、列車で近くを色々、
旅行する事にしました。

前回は、瞑想の仕事で具現化しましたが、
そこに自然の流れがあったからです。
まだSNSが今ほど発達してない時期から
瞑想の仕事を始めていますから、
メルマガ1つ書けば、全国各地、世界各地から、
瞑想を習いに人が集まるような時代の中で、
仕事での集客が収入に繋がる良き時代だったと思います。

今、このSNS乱立の状態で昔みたいに、
瞑想を全国展開で教えたいか?と言われても、
全く望んでません。レッドオーシャンに
自分が入っていく理由がないのです。
(タラもそこに入る理由がない)
マイペースで月1回教えるのが、
一番心地よく幸せを感じています。

だから、1億円が具現化するとしたら、
20年かけての日本の個別株や保険の積み立て
などではないかなと思います。
いつも人がまだ、
あまりやってない事をやりたいなと思っています。

あまり、頭で考えすぎると、
タラの動きに制限を加えてしまうので、
考えすぎないようにしています。

株はとても面白いな〜と感じます。
シャクティの流れそのものだからです。
またこれもどこかで追々。

これは、私に当てはまっても、
皆さんに当てはまるとは限りません。
それぞれが、タラの動きに従ってみて、
学ぶことが大事なのです。

9月11日(日)は伝授&瞑想会です。
9時45分から 赤タラ
11時からビジャ・タラ伝授となりました。
それではめいっぱい楽しみましょう!

瞑想みのり

あっまた札束か・・

こんにちは
瞑想みのりです。

前回の続きですね。タラに具現化をお願いする時は、
「エゴは悪」という、思い込みを取り払って、
大胆にお願いしてみましょう。

どちらにしてもタラが軌道修正をしながら
具現化するので、困ったことは起きません。

タラはダルマ(自然の流れ)を教えてくれますし、
一歩先を教えてくれますね。
100歩先とか教えません。必ず自然な1歩先です。
ただ、その流れを信頼してついていく事は、
必要になります。

ある人が
「ありったけのお金を下さい!」と、
具現化をお願いしました。

そうしたら、ありったけのお金が出て行き、
無一文になったそうです。

これも「タラらしい体験」だと言えます。
このスケールや大胆さに慣れて欲しいのです。

お金の流れはシャクティの流れと同じです。
本当に入ってくる事を信頼していたら、
出ていく・・という流れも信頼して
任せられるはずなのですね。

でも、この流れが起きた時、
人は怖くなるのです。

私もお金を願った事がありますが、
同じような感じでした。
お金を願ったのに、反対の事が起きる。
おそろしいほど、
両親のためにお金が出ていく事でした。
「冗談じゃねぇ!」と思いましたよ。

願ったことと真逆のことが起きても、
それを信頼しましょう。
タラは、1歩先を教えようとしてるのです。

この出来事から、気づきも沢山ありました。
親孝行するって、本当に気持ちの良い事です。
親が元気でいてくれることも嬉しいですし、
子供の時は、親なしで生きれなかった自分が、
いつの間にか力を蓄えて返せるようになっていること。
こんな喜びはありません。自分の成長も発見します。
親が無償でしてくれた事も沢山、思い出しますよね。

 

これがタラの教えですね。ダルマです。
こういう色んな感情を味わう事含めて、
すべてが(お金が入ってくることに)
必要な過程なのですね。

しばらくして、
明け方、札束が落ちてくる夢を観るようになりました。
それもバラバラの厚みの札束です。
100万位の厚みだったり、300万くらいの厚みだったり、
500万位の厚みだったり、色んな厚みの札束です。
ばさばさと、束になって沢山、落ちてきます。

シャクティは、人間の5感覚を、神の知覚のように精妙に
変えていく働きがあります。
松果体から出てくるソーマがもっと発達した状態のことです。

5感覚(聴覚・視覚・触覚・嗅覚・味覚)が、
目覚めるのですが、特に触覚の目覚めについては、
大きいものがありました。夢が現実のようにリアルになるのです。

現実でもあり、夢の中でもあり、私は布団を
肩までかけてベッドで寝ていますが、
顔やおでこ、肩に札束が「ばさっ」と当たる音がして、
重みもあり、落ちてきて、顔に当たり、そのままバウンドして、
顔の横のベッドのソファーに、着地する夢です。

そして、
朝起きると、身体がガチガチに緊張しています。
私は、それまでは、見たとしても300万程度の
札束しか見た事がありません。
銀行口座の引っ越しで口座から出して見た程度でした。
だから、夢の中の大量の札束に緊張してるのです。

多くの人は「大金が欲しい!」と言いながら、
それを見たこともなければ、触ったこともないし、
それが本当にやったきた時、どんな気持ちになって、
どんな感覚が心や身体に起きるかすら知らないのです。

慣れてないというのは、
緊張でガチガチになり、受け取れるわけがないのです。

 

この夢は1週間、毎日続きました。最初の3日間は、
目覚めると、緊張で身体がガチガチでしたが、
3日過ぎたあたりから、少し慣れてきたのです。
「これ、タラにお願いしたからだな・・」と思ったので、
札束を受け取ろう、と思うようになってきて、
(受け取るより、許そう、慣れように近い感覚です)
7日目には「あっまた札束か・・」と、すっかり慣れていました。

そして、本当に私が札束に慣れた時、
外の世界で、この夢で起きた事は、現実になりました。
もう札束で驚く事はありません。
あるとしたら、1億円は見た事ないですから、
生きてる間に目指してみたいですね。

 

計算上では、
20年でも半分しか達成しないと思ってます(笑)
だから、こういう自分ではムリと感じるお願いは
タラにしてみるのは、良いかもしれません。
ここに沢山の学びがあるでしょうから。
面白いと思います。

 

タラの具現化は、私たちを諭すように、
手取り足取り、
具現化の過程を見せてくれるし、
沢山の教えをもたらします。

何をお願いして、具現化でどんな過程があったかを、
簡単に日記にしてみるのは良いと思います。
私は、瞑想の日記はお薦めしませんが、
タラの具現化については、メモしておかないと忘れてしまうので、
メモしておきましょう。

瞑想みのり

秋田竿燈祭り

 

してはいけないお願いは

こんにちは瞑想みのりです

長めの夏休みを頂いておりました。
青森と秋田を旅行してきました。

ねぶた祭りと竿燈祭り、
男鹿のなまはげを見てきましたが、
特にねぶたは、立体的なので横、斜め、後ろ、
どこから見ても美しい芸術作品に仕上がってます。
絵を見るような感じかと思っていたら、
違ってて、デコレーションケーキというか、
宝石箱を見るような感じですね。
長年、行きたかったので満足です。
多くの人が天気が晴れて欲しいと願うからなのか、
祭りの時は、見事に晴れてましたね。
終わった途端の雨って、気合いか!
って思いました。

 

ではでは・・・
軽〜くさぼったブログ。

今日はタラ・タントラに頂いた質問から。

質問: タラ・タントラで
お願いしてはいけないことはありますか?

東北の自然は素晴らしい


みのりお答え:ありますよ!

タラは具現化のテクニックでもありますから、
こんな質問が出てくるのですね。

何かが形になる時、
必ず最初は、私たちの心の中にあります。
それが外側の世界に反映されていきます。

例えば、飛行機という物体は、
誰かが「飛べたらいいな」と意図を持ったから、
結果として、現象の世界に登場してます。

空(創造のみなもと)・風・火・水・地
具現化は必ずこの過程を辿ります。
例外はありませんし、
タラ・タントラはこの過程を観たり、
そこに、色んな気づきや発見があるのですね。
それが面白いのです。

タラに何を願っても、
タラは知性がありますから、
軌道修正するような形で、
それこそ、私たちを諭すような形で、
そこに沢山の教えと洞察をくれる形で、
具現化していきます。
だから、ギラギラの欲望丸出しで、
エゴ満開のお願いの仕方でもOKなのですね。
そういう方が、人間らしくて良いと思いますよ。

願いそのものよりも、
それをタラが軌道修正しながら、
具現化していくシャクティの動きそのものに、
凝縮された学びと知性が詰め込まれているのです。

これを人生で観ることが出来ないとしたら、
損をしていますから、
ジャンジャンタラにリクエストかけたら良いのですね。
剥き出しのエゴで結構です。
ブイブイ行きましょう。

なので、
もしもタラに「お願いしてはいけない事」の
答えがあるとしたら、
エゴ満載でお願いする事ではありません。

 

実は・・
しょうもない願いです(笑)

「しょうもない願い」って・・・
ありますよ。

「背中がかゆいので治してください・・」

とか、

 

「そんなものは、まごの手買って、
自分でかけよ!」

ですし、

ヴィトンのバックくださいとか、

「そんなものは、次のボーナスで自分で買えよ!」

です。

これらは、工夫したらすぐに、
自分で出来る事をお願いしてるのです。
何一つ、自分を変える必要がなく
手に入るものをお願いする事です。

これがタラにしてはいけないお願いになります。

自分で現実不可能に思える大きなお願いの場合は、
それを手に入れるときに、
自分の小さな信念体系やら、
価値観が崩壊していくのを観ることになります。
ここの学びがタラの面白さなのです。

 

しようもないお願いをタラにしている人を観ると、
不思議に思います。どうしてそんな
しょうもないお願いを・・よりによって、
タラにしてしまうのか?(笑)

これを考えてみました。

 

おそらく「エゴは悪」という呪縛があるからです。
エゴは悪という呪縛を崩壊させていくのがタラなのに!
もっとタラの知性を信頼して、
変化して動いていく自分自身を信頼して、
大胆にお願いしていくことが大切ですね。

 

では次回もタラの具現化や知性について、
多くの人がお願いする 
お金の具現化について、書いてみたいと思います。

瞑想みのり

 

お盆なので不思議な話

前回のブログを掲載した後に、読者さん?の
「死を笑ってはいけない・・」こんな声。

目覚めた聴覚に、ちゃんと届いております。
しかも・・ハートの真ん中に届いてる。
愛ですね。心得た!

さてさて・・
今日も お盆なので不思議な話。
生きてる人が、死の捉え方を変える。
これについてですね。

死が悲しいものとは限らないというのは、
瞑想してから知った事です。
これ、本当に個人差があるので、
死んだ人が、どう捉えているかに合わせて、
寄り添う必要があります。

少なくとも、母の死は、母自身が、
死を喜んでいたのがわかりますから、
私自身もあまり悲しんでいません。

 

他にも、瞑想の受講生さんで、癌のステージが進んでから、
瞑想を受けにきた人がいました。

瞑想は心の平安が得れるのと、
肉体を離れる時に、沢山の解放を手伝ってくれますから、
死について、新しい認識が育ちます。
それで、瞑想を受けに来られたのですね。

帰りぎわに「死んだら、挨拶に来ます!」
と言われたのですが、
だいぶ時間が過ぎたある日、私の部屋の中にその人がいました。

 

「これは幽霊か?」とか「どこから部屋に入ったのか?」
とか、思う間もなく、とっさに、見えた瞬間、
笑顔で手をふりました。向こうも手をふった私に気づいてました。

死んだ人に足がないと言われるのは、わかる気がします。
本当のリアルな肉体ではなくて、映画の映像を空間に見る感じなのです。

生前は、病気で肉体の激痛で苦しかった訳です。
信じていた民間療法にも見放され無視されます。

だから、この人にとって、
死は大仕事であり、頑張ったことを
誰かに無視されたくなかったのだと思いますよ。
この気持ちに寄り添う時、私に出来ることは、
無視しないで笑顔で手を振る事だったのです。

本人が、死んだ事を祝福と捉えているのに、
生きてる人が、必要以上に悲しんでいる。
これも相手に寄り添ってないのです。

生きてる間に相手に対してベストを尽くして
接していたら、それが、わかりますよ。
(だから生きてる間は、心残りのないように・・なのです)

 

こんな違ったケースもありました。
私の友達で、幼い子供(赤ちゃんと3歳児)
と夫を残して、病気で亡くなった人がいます。

初7日とか、49日とかも、すべては、
全部が、こちらの世界の都合であり、
そもそも、日付や時間感覚が大きく違うのが「死」です。

この場合は、
まさか、49日なんかで、天国に行ってませんよ!
生前、頑張り屋で、何事も諦めずに
粘り強い性格の人でしたが、
天国に行ってたまるかと必死で粘ってとどまり続け、
ある時、もう亡くなってから100日以上はとっくに
過ぎていたと思いますが、
宇宙に大きな風が吹いたというか、流れがあった時に、
天国にあがりました「あ〜今。天国に行った〜」と
彼女の死を感じたのはその時です。

 

どうして、天国にすぐ上がらなかったのか?
痛い程に気持ちがわかります。だから、
この場合は「天国に行ってたまるか!まだまだ粘る」
この思いに寄り添ってあげる。

この人の場合は静寂に溶けた時が、
本当の死であり、お別れだったと思ってます。

個人的には、上記のような
特別な場合以外は、
人間が成仏しないでこの世に残る
(地縛霊やら、霊がとりつく、霊が場所に棲みつく)
これは、実は、ほぼないと思ってます。

 

だから、誰かに「霊が取り憑いてるよ」とか、
おどされたら、瞑想者は

「誰にモノ言うとるねん!人を見てモノ言いや!」と、
相手の無知を諭すくらいでないといけません。(笑)

見えないという理由で、騙されてはいけませんし、
瞑想者は叡智とともに在りましょう!
ぶっ高いダサイ壺を買ってもいけません(笑)

肉体がないというのは、想像以上に軽くて、
天国行きの風に飛ばされてしまう感じです。
相当この世に残りたい理由と根性がないと、
残れないのが、正しいのです。

ただ例外があるとしたら、
死んだ事を本人が知らない場合。
特に仕事中の突然死とかは、
死んだ本人がまだ知らずに責任感から働いてる
フィーリングと一緒にある可能性があるので、

「死んでる事を教えてあげる」
「もう仕事しなくていいんだと伝えてあげる」
(ボランティアや家事などの無報酬の仕事の場合も忘れずに!)
「天国で安らかに眠ってください」

これだけは、周囲の人が、
お葬式の時に伝えてあげましょう。
それで十分です。

 

まぁ今日は不思議な話をつらつらと・・
書いてみました。

コロナがまた流行っていますから、
皆さんお身体に気をつけて、
夏をお過ごしください。

瞑想みのり

悟った人を見分ける方法があるとしたら?8

こんにちは
瞑想みのりです。

最近、犬に吠えられたから(笑)
筋トレをはじめて、少し痩せました。
私の大好きな「お犬様」だから。

忠犬ハチ公のように、
伝える事を忠実に聞かなくちゃ!
ワン!

youtube動画もほんと便利ですね。
痩せる事と、筋肉をつける事と、
体脂肪を減らす事は、また違うからね。
ほんと勉強になるわ。
少し筋トレが楽しくなってきました。

奈良学園前

今日は、
ブログで「追々、書きます」と伝えて、
まだ書いてない事を書いてみたいと思います。

有名な日本の高僧の話ですが、
厳しい修行の後に、
綺麗な女性を見かけて、
思わず心の中で、
犯してしまったと・・。
「人間というのは、なんという、
性悪であるのか!」と、
自分自身の心というものを
振り返って反省する話があります。

この話が、なんで悟りの話なのか?

これについて書いてみたいと思います。

この高僧は、
自分が心の中で思った事が、
目覚めた知覚においては、実際に行動した事と
同じ意味を持つ事をちゃんと理解しているのです。

だから、
自分はとんでもない性悪だと言ってるのです。
けれども、
これこそがこの高僧が清い証拠であり、
目覚めた知覚である証拠なのです。

 

普通の人は、
心の中で思う事は無法地帯です。
けれども、
自分の心の中で思うことの意味や影響力を
理解して、注意を払えているとしたら、
私からすれば、尊敬に値する「悟り」
だと思ってます。

 

同じようなお話で、
面白いお話が、
あるヨギの自叙伝という書籍の中に掲載されています。

著者のヨガナンダは、「自分の想う事」
にとても注意を払った方です。
それは書籍の行間からも伝わってきますし、
心の中で想うことについて、
師匠に厳しく教えられたからですね。

 

こんな話があります。
ヨガナンダが暑い日に、瞑想をしていました。
周囲には蚊が沢山飛んでいましたが、
殺生をしないで、蚊に刺されながら
瞑想をしていました。
そこに、ヨガナンダの師匠がやってきます。

 

ヨガナンダは、蚊に刺されながら
瞑想を続ける自分の姿を
師匠にほめてもらえるだろうと思ったのですね。

 

ところが、師匠は、
蚊を手で叩いて殺していったのです。

 

ヨガナンダは自分が殺さなかった蚊を、
師匠が殺したから
「何で〜?」と不思議に思うわけですが、

師匠は、ヨガナンダの心の中の状態を、
実際に行動で見せただけなのです。

 

そして、
「心の中で蚊を殺してるなら、
実際に殺してるのと同じだろ?」
と言うのです。

 

実は・・
悟りの意識状態では同じなのです!
目覚めた知覚では、相手は受け取るからです!

 

師匠はヨガナンダに
悟りの意識状態がどのような状態かを
日常の出来事を通じて、
教えているお話なのです。
この発言から、この師匠が、
悟っていることがわかるのです。

心の中で犯される(レイプされる)事は、
実際に目覚めた知覚では、
相手は心の中の体験で犯されてしまいます。

 

同じく、
誰かを殺す事を心の中で思う事は、
実際に相手は心の中の体験で
殺されてしまうのです。
ただ、圧倒的に、
レイプの方が多いです。

これは、おそらく、
殺してやる!と心の中で人が思う時に、
実際にナイフで刺したり、
首をロープで絞めるまで多くの人は、
イメージしないからだと思います。
だから相手も受け取らないのです。

「犯してやる!」は、簡単にイメージが出来ちゃうために、
目覚めた知覚では、いとも簡単に受け取りますね(笑)

子供(特に女の子)に、瞑想をおすすめしないのは、
このレイプ(犯される)の意味がまだ理解できないからです。
知覚だけが目覚めているのに、意味がわからない状態だと、
心の中でも体験にNOが言えないのです。
本来であれば目覚めていると意識的でいられるので、
NOが言えるものが、意味がわからないと、
「今の何だろう?」って、
受け入れてしまうしかないからです。

今日の目覚めた知覚のお話は、
かなり難しかったので、瞑想上級者向けですね。
瞑想の体験やそこからくる認識力が育ってくると、
次第に何の話をしているのか、わかるようになってきます。

また少し、
瞑想初心者向けの話も増やしていこうと思ってます。

瞑想みのりサイト
サイトにタラの解説を少しUPしました

雑念も出せない瞑想はどうかしてるぜ!

川崎にて
こんにちは
瞑想みのりです。

6月タラの伝授&瞑想会はあと1席になりました。
まだ解説が追いついておりませんが、
7月くらいにはUPできると思います。

今日は初歩的な瞑想のお話です。
タラは、特に「空」が動く質(シャクティ)を
育てていきますので、
これを理解しておかないと、飛ばされてしまいます(笑)
人によっては嵐のような体験が長く続きます。
今日はこの嵐の意味を理解しておきましょう。

瞑想中の雑念についてです。

私たちは勝手に瞑想中の体験に、
善悪を持ち込んでしまいます。

その中の一番大きいものは、
瞑想中の雑念(思考が沢山、出てくる事)を
「悪」だと扱う事です。

勝手に私たちが良い瞑想だと思い込んでいる体験は、
静かで心地よく、雑念のない瞑想ですね。
これを「良い瞑想」「善なる瞑想」と思い込んでいると、

ひとたび、雑念だらけで、心地悪い体験が続くと、
「瞑想がちゃんとできてない」
「空」を経験できていないと、
素人判断をしてしまうのです。

結果的には、この体験が続く時、
瞑想ができてないと素人判断が入り、
せっかくつかんだ「空」の体験を捨ててしまう
(瞑想を辞めてしまう)のです。

あ〜もったいないですね。

理論的に何が起きているかを理解しておきましょう。

瞑想中の「良い瞑想」と私たちが勝手に判断してるもの。

心地よくて、雑念がなくて、ずっと留まっていたいと思う体験。
主観で、深い瞑想と感じる体験です。

多くの人がこの体験を求めます。
私もこの体験の方がそりゃ好きですよ。
皆さん、好きに決まってます。

この体験は、心地よい至福感に包まれますが、
起きていることは、
「空」の中で意識が拡大している体験です。
主に、意識の拡大が起きていますが、
根深いストレスの解放という意味では、
そんなに起きていません。

この心地よい体験が続いた後は、
今度は、意識が拡がった分だけ、
また新しく、
根深いストレスを扱う事が出来るようになります。
ちょうど、一つの部屋が綺麗に掃除されて、
ホッと一息ついた、
そしたら、次の知らない部屋に入ると、
ゴミだらけで
また掃除を始めるような感じです。

その時の体験が、雑念だらけで心地悪い、
いてもたってもいられない
浅いと感じる瞑想の体験です。
悪い瞑想と思い込んでる体験です。
浅いと感じるのは私たちの主観であり、
本当はこの時も、ELM瞑想(フルフィルメント瞑想)では、
「空」をちゃんと経験しています。

根深いストレスが、
瞑想中の雑念に乗っかって出ていくのです。

この雑念だらけの体験は、
意識の拡大はそんなに起きていませんが、
主に根深いストレスを取り去る作業をしています。

だから、周期的に、意識の拡大。
そして、根深いストレスを取り去る。
この体験が交互に起きてくるはずです。
これは、何日周期とか具体的な事は言えません。
人それぞれですからね。

雑念だらけの体験が続く時は、やはり、心地悪いです。
けれどもそれは悪ではありませんし、
瞑想がちゃんと出来てない訳でもありません。

「あっ!今、根深いストレスが、去っていこうとしているんだ!」
そんな気持ちで瞑想を続けてくださいね。
雑念は、抵抗しないで、垂れ流しが一番、
スムーズなのです。

悪の判断をしてると、苦しくなります。
抵抗してる事だから。
タラはこの体験が、今までに経験した事がないような
嵐のような体験になります。

瞑想を長く続けている人は、
もう気づいてるかもしれませんが、
現実が大きく変化するのは、
実は・・雑念の体験が続いた後なのです。
雑念の体験が続いた後の日常に目を向けてください。
本当に何かが去っています。
何か大きなストレスを手放しています。

 

だから、私としては、
雑念も出せないような瞑想の方が、
どうかしてる!と思うのですね(笑)
それは、どこにもパワーがない事を
意味していますから。

瞑想中の体験なんてどうでもよくて、
瞑想は何のためにしているのかと言えば、
瞑想してない時間
(日常生活、睡眠の質、仕事中や家族、友達と過ごす時間)を、
摩擦なくスムーズに過ごす為にしています。
1日に朝夕30分の瞑想をするならば、
残りの23時間の質を変える事が出来ます。
これが瞑想の意義です。

タラの意味は、
「渡る者」という意味があります。
ストレスだらけの現実世界を
「サムサラの河を渡る」と
表現しますが、タラは、
荒れ狂う河に橋をかけて渡ります。

 

サイモン&ガーファンクルの
「明日にかける橋」
という名曲がありますが、
昔から大好きでした。
これ、タラの事だなと思って、
よく聴いていました。

最近は、サイモン&ガーファンクルよりも
プレスリーが歌う
「明日にかける橋」をよく聴いています。
プレスリーが、すごくパワフルで、
今頃、はまってしまいました。

果物の桃を見てもタラに似てるなと思います。
(どんな例えだよ!余計わかんなくなるだろ!)

うまく言えないけれど、タラはシャクティの化身で、
シャクティというのは、色気でもあるからです。
色気にまつわる色んな事が起きてきます。
これもまた追々、書いていきますね。

タラは「渡る者」
泥だらけのサムサラの河に、頑丈な橋をかけて渡ります。
「空」は瞑想中だけにありません。
現象の中に嵐のように登場します。この嵐が、
やがて、知性を持つ触手に変化していきますので、
五感覚が、神のような精妙な知覚に変化していきます。
それがタラです。

今日も熱く語ってしまいましたが・・・
とにかく、楽しいし、多くの瞑想ファンが
一番好きなテクニックにあげるのがタラです。
私も愛してやまないタラですね。

6月から、楽しくまいりましょう!

瞑想みのり