お盆なので不思議な話

前回のブログを掲載した後に、読者さん?の
「死を笑ってはいけない・・」こんな声。

目覚めた聴覚に、ちゃんと届いております。
しかも・・ハートの真ん中に届いてる。
愛ですね。心得た!

さてさて・・
今日も お盆なので不思議な話。
生きてる人が、死の捉え方を変える。
これについてですね。

死が悲しいものとは限らないというのは、
瞑想してから知った事です。
これ、本当に個人差があるので、
死んだ人が、どう捉えているかに合わせて、
寄り添う必要があります。

少なくとも、母の死は、母自身が、
死を喜んでいたのがわかりますから、
私自身もあまり悲しんでいません。

 

他にも、瞑想の受講生さんで、癌のステージが進んでから、
瞑想を受けにきた人がいました。

瞑想は心の平安が得れるのと、
肉体を離れる時に、沢山の解放を手伝ってくれますから、
死について、新しい認識が育ちます。
それで、瞑想を受けに来られたのですね。

帰りぎわに「死んだら、挨拶に来ます!」
と言われたのですが、
だいぶ時間が過ぎたある日、私の部屋の中にその人がいました。

 

「これは幽霊か?」とか「どこから部屋に入ったのか?」
とか、思う間もなく、とっさに、見えた瞬間、
笑顔で手をふりました。向こうも手をふった私に気づいてました。

死んだ人に足がないと言われるのは、わかる気がします。
本当のリアルな肉体ではなくて、映画の映像を空間に見る感じなのです。

生前は、病気で肉体の激痛で苦しかった訳です。
信じていた民間療法にも見放され無視されます。

だから、この人にとって、
死は大仕事であり、頑張ったことを
誰かに無視されたくなかったのだと思いますよ。
この気持ちに寄り添う時、私に出来ることは、
無視しないで笑顔で手を振る事だったのです。

本人が、死んだ事を祝福と捉えているのに、
生きてる人が、必要以上に悲しんでいる。
これも相手に寄り添ってないのです。

生きてる間に相手に対してベストを尽くして
接していたら、それが、わかりますよ。
(だから生きてる間は、心残りのないように・・なのです)

 

こんな違ったケースもありました。
私の友達で、幼い子供(赤ちゃんと3歳児)
と夫を残して、病気で亡くなった人がいます。

初7日とか、49日とかも、すべては、
全部が、こちらの世界の都合であり、
そもそも、日付や時間感覚が大きく違うのが「死」です。

この場合は、
まさか、49日なんかで、天国に行ってませんよ!
生前、頑張り屋で、何事も諦めずに
粘り強い性格の人でしたが、
天国に行ってたまるかと必死で粘ってとどまり続け、
ある時、もう亡くなってから100日以上はとっくに
過ぎていたと思いますが、
宇宙に大きな風が吹いたというか、流れがあった時に、
天国にあがりました「あ〜今。天国に行った〜」と
彼女の死を感じたのはその時です。

 

どうして、天国にすぐ上がらなかったのか?
痛い程に気持ちがわかります。だから、
この場合は「天国に行ってたまるか!まだまだ粘る」
この思いに寄り添ってあげる。

この人の場合は静寂に溶けた時が、
本当の死であり、お別れだったと思ってます。

個人的には、上記のような
特別な場合以外は、
人間が成仏しないでこの世に残る
(地縛霊やら、霊がとりつく、霊が場所に棲みつく)
これは、実は、ほぼないと思ってます。

 

だから、誰かに「霊が取り憑いてるよ」とか、
おどされたら、瞑想者は

「誰にモノ言うとるねん!人を見てモノ言いや!」と、
相手の無知を諭すくらいでないといけません。(笑)

見えないという理由で、騙されてはいけませんし、
瞑想者は叡智とともに在りましょう!
ぶっ高いダサイ壺を買ってもいけません(笑)

肉体がないというのは、想像以上に軽くて、
天国行きの風に飛ばされてしまう感じです。
相当この世に残りたい理由と根性がないと、
残れないのが、正しいのです。

ただ例外があるとしたら、
死んだ事を本人が知らない場合。
特に仕事中の突然死とかは、
死んだ本人がまだ知らずに責任感から働いてる
フィーリングと一緒にある可能性があるので、

「死んでる事を教えてあげる」
「もう仕事しなくていいんだと伝えてあげる」
(ボランティアや家事などの無報酬の仕事の場合も忘れずに!)
「天国で安らかに眠ってください」

これだけは、周囲の人が、
お葬式の時に伝えてあげましょう。
それで十分です。

 

まぁ今日は不思議な話をつらつらと・・
書いてみました。

コロナがまた流行っていますから、
皆さんお身体に気をつけて、
夏をお過ごしください。

瞑想みのり