悟った人を見分ける方法があるとしたら?4

こんにちは
瞑想みのりです。
今日も、悟った人を見分ける方法シリーズ

奈良散歩

「空」を長年経験してる人にとっては、
じわじわ 面白い話だと思うんだけどね。
第4弾でいってみよう!

悟り(目覚め)って・・「直感が鋭い」
どころの話ではないのです。
再現性は毎日ですから(笑)

単にそのまんまを見てるし、聴いてるのです。
それをブッダは、目覚めと呼ばずに
「タターガタ」と呼びました。

「タターガタ」の意味も間違えてはいけません。
「如来」などと訳された日には、
自分とほど遠い世界の事だと誤解してしまいます。
(決して、間違いではありませんけどね。
悟りは、菩薩として、如来として目覚めた
知覚で生きる事ですから!)

瞑想してる皆さんは、自分の身に起こる事だと、
理解してくださいね。実際に起きてますので
事例も載せておきますね。

 

目覚めた意識はとても静寂で目覚めています。
まるでクリアーな湖面のような意識の目覚めです。

 

だから、誰かが石でも投げて波紋ができないと、
静寂すぎて目覚めていることにさえ、
気づかないでしょう。

私が、悟りの条件に、
「何らかの人間関係がある事」を挙げるのは、
人のリアクションで、はじめて自分の悟りに気づくのです。
何でもいいから湖面に石を投げてくれる人が
必要なのです。

目覚めた意識が透けて通っていき、
単にそのまんまを見てるし、聴いてるのですが、
そのまんまの意味は、
バラ色の世界を見てるのとは違いますが、
人が見てるものまでそのまんま。
人が心の中で話してることまでそのまんまの意味です。

聴覚の場合は、
心の中で思う言葉と、実際に口に出して伝える言葉は、
すこしだけ違いがあります。

心の中で思う言葉は、
まだ本人だけが心の中で思ってる言葉なので、
主語や述語がありません。
例えば「重い」と言われても、
体重が重いのか?
心が重いのか?聴いてる方には違いが分かりません。

でもこれが「タターガタ」です。

特に悟りに気づく初期の頃は、
人の殺気や怒りなどが分かりやすいです。
これらは、湖面に投げられた大きめの石のようなもので、
波紋が大きく広がるから悟りの初期には気づきやすいのです。

悟りの話で、剣の達人が、
寝ている時に、クセモノに襲われそうになったら、
すぐに気づいて、相手を切りつけることが事が出来る。
なぜなら目覚めているから。という話がありますが、
これは、本当でもあるけれど、少し違います。

本当に、悟っていたら、そのクセモノが、
剣の練習をしている時点で「襲ってやるぞ!」
という意図を持ちながら練習している。
その意識を、先に、キャッチしていますし、
それがもしも、顔を知っている人であれば、
目覚めた視覚がそのまま見ますので、
誰なのか特定していますし、
声を聴いていたら、声色や声の特徴を目覚めた
聴覚が聴いてるので、
誰なのかある程度の見当がつくでしょう。

これが悟り(意識の目覚め)ですね。
クセモノに部屋の中に来られてから気づくのは、
遅いねん!

受講生さんの面白い話ですが、
ある時、実家に泥棒が入る意図を
目覚めた視覚で見たのですね。

 

それで、実家に「泥棒に気をつけて!」と
電話して伝えたけれど、
家族が、真剣に気に留めておらず、
実際に泥棒にはいられてしまったの。
(残念ながら・・)

そしたら、また泥棒に入られる意図を見て、
再度、電話で伝えたら、今度は2回目なので、
家族も聞き入れて、セコムをしましたとさ。

単に目覚めた意識は
「泥棒にはいるぞ〜」って泥棒の強い意図を
聴いてる(または、目覚めた視覚の場合は見てる)
だけなのです。

これがタターガタです。
普通の聴覚や視覚と違う点は、
目覚めた意識は、広大に目覚めているので、
距離が遠くても、心の中の言葉も見てるし、
聴いています。

瞑想みのり
次回の伝授&瞑想会は3月13日(日)です。
瞑想はじめてみたい方、
誰でも簡単に始められます。

今年印象に残った瞑想体験&出来事3位

こんにちは 瞑想みのりです

12月12日(日)の伝授&瞑想会は、
あと1席になりました。
来年度1月9日(日)は残席4あります。

毎年この時期には、
印象に残った瞑想体験&出来事の
ベスト3を書いてるので、
今年もそうすることにしますね。

 

まず、今年の3位は・・

自分が、思っている以上に、
意識が目覚めていた事に気づいた体験ですね。
そして、そんな自分の状況を受け入れた事。
これが3位です。

 

この状況が悟りの意識状態で
起きてくる経験なのだと理解して認めたからです。

「気づくのが遅すぎた!」とは思いますが、
「気づきたくも無かった」というのが正直な私の感想なのです。

 

実は・・瞑想歴3年目くらいからは、
他の人に、分からないことが、透けて通るので分かってしまう
という知覚の変化の自覚はありました。
よくブログにも書いてましたしね。
でも・・まだ幼い20代の時です。

その時に、感じたことは人が見てないものを見たり、
聴いたりすることで、良い点もありますが、
同時に「それ、私が知る必要あるの?」
と思うことも沢山あったのです。

 

多くの人が悟り(目覚め)というものを 
光が降ってくるような体験とか、
世界がパラダイスに見える素晴らしい体験が
自分に起きることだと想像しています。

透明度の高いマインドの鏡から世界を見るので、
世界がきれいに見える・・これは正しいのですが、

「人間である自分に神のような精妙な知覚の変化が起きる」
こちらの方が大きいのです。
これが・・まぁ〜 良くも悪くも透けて通るのです。

本当に悟りを得たいと思ったら、
知覚の変化によって、ポジティブな面もネガティブな面も
両方知ることになると理解(覚悟)しておく事。
ネガティブな面に対処が出来るようになっておく事。
これが悟り(目覚め)の秘訣だと思いました。

 

多くの人が、知覚の変化の
「良くも・・」
の部分だけが欲しいのです。
「悪くも・・」の部分は
欲しくないのです。

この2年ほどは、20年ぶり位に
民間企業で働く機会があり、
瞑想と全く関係のない沢山の人に
お会いする機会がありました。

 

働いてみたら・・
あまりにも意識が透けて通るので、
対処方法を学ばないといけなくなり、
「こんなにも意識が目覚めていたのか!」
という気づきにもなり、
自分の状況を
受け入れるしかありませんでした。

 

職場というのは、
仕事の本質に気づくまでは、
阿修羅の世界です。
(気づいたら変化しますけどね)

 

競争が激しいところであれば、
「死ね!」という心の声。
「怪我して仕事できないんだったら、
仕事辞めたら?」
「じゃま!」
普通に口に出してない 
こんな心の声が聴こえてましたね。

 

言葉というのは、
口に出して表現される前には、
心の中にすでにあります。
だから、意識が目覚めていると、
口に出さなくても透けて通ってしまうのです。
(またこれは、妄想とは全く違うものです)

ラブ・マントラは、この目覚めが早く起きてくると感じます。
だから、ブログで受講生さんに向けて対処方法などもできるだけ具体的に
書くことにしました。

 

話戻って・・上記に書いた事は
全部、私に向けて言われている事ですけど、
「これ聞こえる必要あるかな?」って思いますよね。
これ、対処方法を知らないと、凹んで泣いてると思います。

 

私は・・笑いましたけどね。

 

「じゃま」は、
言ってる本人が居場所がないのね。

「怪我して仕事できないんだったら、
仕事辞めたら?」これも正論のようで・・
すべてが戦いになってる。
まさに阿修羅(戦い続ける道)です。

ここから 早く出なくては!(笑)

 

「死ね」はさすがに、苦笑いしましたけど、
実は、この「死ね・・」は、奥が深い。

「本当に私に死んで欲しい」 
そのままです(笑)

 

で・・
ある時、ふと気づいたのです。

 

これが自分の(初期の)上司の心の声であり、
私は、成長していこうと思って、
この職場を選んでいるのです。
ならば、素直に聞かないといけません。
だから「死ねばいい」のです。

 

皆さんも「死ね!」と言われたら
ショックを受けずに、パワハラだと言う前に、
死ぬが正しい対処法です(笑)

何に対して「死ね」といわれているのか?
自分自身の中に、その部分を探して、
自分で自分の一部を殺すのです。

 

ありました!
「ポンコツなのに反省しないで笑ってる自分」
これですね。これを殺すのです。

するとね。しっかり殺すと、
不思議なことに状況が変化するのです。
この2年で同じ会社の中で部署が2回も変化してるのです。

 

でも・・部署の変化とともに、
階層が上がっていきましたね。

「畜生の世界」そして、
「阿修羅の世界」から出ることが出来ました。

今は、誰とも戦わない世界にいます。
戦うとしたら自分と戦うだけ。

 

ポンコツなのに
どんどん栄転(笑)

今年は、明らかに「階層が変わった〜」と思いました。
だから私にとっては、この1年は、しんどかったけど
「抜けた〜」と思えるような、嬉しい年になりました。

そんな事で、「自分の目覚めを受け入れた事」
これが3位です。

編集後記
今日の話は、悟り(目覚め)を
知らない人からしたら、
「妄想の話」と思うでしょうね。
妄想の話とは、全然、違う話です。

私が書く理由は、受講生さんに目覚めが起きてきてるから、
対処法をしっかりブログで書いていこうと思ったのです。

良くも悪くも「目覚め」を受け入れるのです。


今日は目覚めのネガティブな

面を書きましたが、
怖がらずにいてね。

 

なぜなら、
ポジティブな面の方が多いから、
かなり私も助けられてます。
悟りは女神が友達ですから。

それについては、
また来年度、どこかで書きましょう。

今年もあと1ヶ月と少し
めいっぱい楽しみましょう!

瞑想みのり

神鳴りのように竜巻のように・・

こんにちは
瞑想みのりです。

ブログは
瞑想と仕事・お金・
瞑想と恋愛・結婚・
瞑想と美と健康・
瞑想と知性の夢・
瞑想の意識状態・

こんな風に、
カテゴリーで分けてみました。

奈良の大仏

この間、
オンライン質疑応答&瞑想ライブをしました。
瞑想歴が4年から10年超えてる人が多く
10名の方が参加されました。

一番新しい人達でも、
ブラフマン意識の経験をしているのですね。
神の知覚が、目覚めて、空間に透けて通る体験です。

 

私も皆さんの体験を聞いて、
凄いな〜と思いましたし、
嬉しかったです!

「透けて通る・・」を別の言い方をするとしたら、
自分のエネルギーのフィールドが、
宇宙に(世界に・空気中に)拡がり、
目覚めているということです。

瞑想は、リラックスして始めます。

ブラフマン意識になると、
自分の身体の輪郭をしっかり感じるというよりは、
その輪郭が消えてしまうような感じで、
瞑想を始めていきましょう。

手のポーズとか、
アグラとか、どうでもいいです。
私は、昔から・・
手のポーズにこだわったり、
背筋をしっかり伸ばすとか、
身体のスタイルにこだわりすぎる瞑想は
しようもないと思ってました(笑)
今も・・思ってます。

「身体を超えて意識が拡がっている」が、
正しいからです。

尾てい骨から上昇していくエネルギーを
クンダリーニと言いますが、
これも、身長160センチ足らず人であれば、
頭頂から尾てい骨の90センチ足らずだと思って
瞑想してる人が多いです。
肉体に囚われているのです。

クンダリーニはそこじゃない。
クンダリーニは龍や蛇に例えられますが、
自然現象の竜巻をイメージするといいです。
(あんまりお目にかかりませんけどね)

もっと分かりやすいのは、
夏のカミナリです。
カミナリは、神鳴りとは、よく言ったもので、
天から地に電流が走りますけど、
瞑想してる人は、
あれが、自分の背骨だとイメージするくらいで
丁度いいです。

雲を脳に例えると、
雲の合間(松果体)から、
私達の知覚を変化させるソーマと
呼ばれる若返りのホルモンが生成されて出てきます。
(これは「空」を経験する瞑想に限ります)

ソーマは、瞑想中、内なる目で見るときは、
乳白色のクリームですが、
この体験が増していくと、磁気的傾向が強くなり、
まさに神鳴りの電流のようです。
「天から大地」これが私達の意識の
フィールドだと思ってください。

タラ・タントラ使っている人も同じです、
赤タラで上昇し、白タラで降りる。
赤で雲まで、突き抜けて、
白で降りるは雲から大地まで突き抜ける。
自分の肉体からはみ出ている。こんな感じです。
これが私達のエネルギーフィールドです。

私達は、ブッダの事を「大仏」と呼びますよね。
これもぼ〜っと聞いてちゃダメ(笑)
自分の身に起きることです。
人間が到達しうる意識の状態を表します。
文字通り、目覚めた意識が・・大きいの。

奈良在住ですが、
奈良の大仏には沢山のインスピレーションを頂きます。
門から大仏殿まで、めっちゃ遠いのですが・・
これ、奈良が田舎だからじゃないのです。

大仏の仏像がブッダの身体じゃないもの。
薬師寺とか、長谷寺とかも全部がデカイですが、
これも意味するところがあるのです。
奈良は素晴らしいよ〜。

と・・脱線してしまいましたが・・

ソーマが大量に流れる体験を
ダーマ・メガ・サマディと呼びますが、
「ソーマの雨が大量に降る」という意味です。

神鳴りの後には大量の雨が降るように、
瞑想で起きる体験と自然現象は同じですね。

瞑想みのり

 

未来をつくれ!

こんにちは 瞑想みのりです。
昨日22日(木)は、
21時からオンライン瞑想質疑応答ライブでした。
10名の方が参加されました。

 

FBグループで、認識についての質問がありました。
ちょうど瞑想会で、良い事例がありましたので、
具体的に例を挙げてみたいと思います。 

(頂いた質問)
みのり先生に
「瞑想は体験と同時に起きている事への認識が重要」 
と言われました。
この意味がよくわかりません。

桃といえばあらかわ・・美味し。

(お答え) 認識とは、簡単には、瞑想の「空」を経験して、
日常の体験の中での「あっ!そうか!わかった!」
という理解の事です。

この間の瞑想会である方が 
「自分が引っ越す夢を見て、その家に行ってみたら、
とても広い家で、表札が違うから、すごすご帰った」と、
話していました。
使ってるマントラはクリシュナ・マントラです。

この時に
「あっ!わかった!これが
クリシュナの多次元宇宙か!
自分の知らない自分を発見するんだな!」と、
自分で理解できていたら、認識が進む事になりますが、

質問するまでは、自分では、
わからなかったの。
講師に聞いて初めて
「あっ!わかった!」に変わりましたよね。
わかったら、ここに向かって、
現実を形創る事が出来ます。
それを、していかないといけません。
何が何でもです。
時間をかけて良いから、 
ここは、あきらめないで行動するです。
自分でもまだ気づいてない、
気づかないふりをしている
ハートの深い望みだからです。

行動していかない時、
「瞑想してるけど、あまり変化がない」 と、
言い続ける事になるのです。

クリシュナは合図を送っている。 
わからないから、
何度もわかるまで、合図を送っている。
こんなに具体的で
分かりやすい瞑想はないと思います。

この事が、
わからないと(認識できないと) 
ここに行動を起こしていけないのです。 
夢を見たな。それも同じ夢を何度も見たな・・
ここで終わっちゃうの。

 

夢は通常は、
ストレスの解放で見るので、
分析する時間が無駄なほどのゴミです。

けれども悟りの意識状態では、
全く違う意味合いを持ちます。
知性の夢を見るのは、条件があります。
マインドが直接、空を経験していて、
なおかつ目覚めている状態である事。
マインドがクリアーである事。
知らない事があり悩んでいる場合、
または、知りたいと意識を向けている場合。

もしもあなたが、全知全能であれば、
知性も教える事がないから、
知性の夢は見ません。

これが普通の人が寝ている時に
見る雑夢ではなくて、 
「空」が日常の中に目覚めて
登場してる知性が教えている夢で、 
新しいご自分の未来だから
ゴミの夢ではありません。
ちゃんと、拾わなきゃ。

だから認識が瞑想の体験と同時に
とても大事なのです。

瞑想の講師は、
何の為に存在するのか?
私は、瞑想の受講生さんの、
認識を拡げる為に、
存在してると思っています。 
だから、何でも質問して、
講師を使い倒すの。
使い倒されても、
それは、瞑想の講師冥利に尽きます。 
「人が変化する姿を見れる」
それは何よりも嬉しい事なのです。

同じ瞑想をしている受講生さんが、 
新しい、自分の未来の可能性の中に
入っていく姿を見れるのは、
魂が震えるくらい嬉しい事なのですね。

認識が進んだ状態で、日常を生きる時、
自信を持って、瞑想を続けていけますね。
それは、必ず、容姿や行動にも出てきます。 
そこに年月が重なる時、
明らかに見た目に差が出ます。

マントラを沢山、持っていても、
認識が足りないと、 
それが外から見ても講師にはわかるのです。
「マントラ本当にそんなに持ってるの?」
(そんな風には見えない・・)と
見えてしまいます。

もちろん、マントラが沢山あることで、
固有の波動があり、
刺激がどれも違うから、 
その事で瞑想を続けられているのは、
とても良い事だと思いますよ。 
そこに講師との良好な人間関係を感じます。
否定はしないけれど、 それだけだともったいないの。

私は、
このフルフィルメント瞑想(ELM瞑想)の事を
「瞑想界のポルシェ」と呼んでいますが、
ポルシェは、そんなものでは、
終わりません。

マントラが、少なくても、
そこに 正しい認識があり、
日常の変化と照らし合わせて、
理解しながら進んでいたら、
私は、そちらの方が価値があると思っています。
講師からすると
「いぇ〜い!やったぁ〜!」 って感じかな?

なので、日々、認識を深めながら、
楽しくまいりましょう。

瞑想伝授&瞑想会は
奈良学園前で月1回開催してます。

瞑想みのり

 

上級者の瞑想は、初心者にも一番効果的なもの

梅雨ももうすぐ終わりそうですね。

今日は伝授&瞑想会でした。
名古屋や兵庫など遠方からも
沢山の人が訪れる楽しい瞑想会になりました。
ありがとうございました。


今日は、ランチの事、書いてみます。

メインは、キャベツメンチカツ。
油は、自然食品店のものを使ってます。

お味噌汁は白きくらげを入れました。
きくらげは、国産のものがいいですね。
今日は、高知の清流、
仁淀川の霧で育てた無農薬、
防腐剤なしのきくらげです。
きくらげは、
カルシウムや、食物繊維が豊富なので、
戻した水も使いたいところです。
中国産は、安いけど、
農薬や防腐剤が怖いので、戻した水が使えないの。
水溶性の栄養がもったいないですよね。

人間だけが、自由意思があり、
方向を変えることが出来ると
この間、ブログに書きましたが、
瞑想を教えている私が、料理をする。
こんな事も方向を変える事が出来る例で、
これは、人間だけが出来る特権なのです。
クリシュナマントラは、
自分の知らない自分を沢山発見しますので、
そこに動いていってくださいね。

食物の中の神の知性を無視して、
甘い梅干しとか、
食中毒が怖いからと、
滅菌しすぎたカット野菜とか、
火を入れすぎた蜂蜜とか、

ぼっとしてたら、
それ意味ないじゃん!ってものを
「身体にいいね」と言って、
食べていたりします。

せめて、
人間が事に仕える時(手仕事する時)
くらいは、
食物の中の神の知性を、
そのままに引き出してあげたいなと思ってます。

今日は、ひじきも砂糖を使わずに、
かつおぶしの出汁をひいて、
梅干しとレモンで攻めてみました。
本当に美味しいひじきは、身体がなれてくると、
砂糖は入れないほうが実は美味しいです。

次回の伝授&瞑想会は、8月8日(日)になります。
誰でも参加できますよ。
瞑想初心者の人でも簡単に続けられて、
とても深い経験がおきてくるのが、
この瞑想です。

上級者の瞑想は、
実は瞑想初心者にも一番良いものなのです。

サイトも少しずつUPしています。
https://www.1satori.com/

エゴが「空」にのみこまれる

発達していく神意識のお話の途中ですが、
前回は、反響が大きかったので、
つけたしです。

神様や悟ったマスター達の特徴、
人間との大きな違いは、
肉体の有無ではありません。
私にとっては、
神様やマスターというのは、
固有の個性を放っています。
キャラかなり濃いです。
肉体が無くても、
その人らしさ(神の知性)が
表現されていない人間の個人より、
よっぽど存在感がアリアリだったりします。

人間は、頭で考えすぎなのです。
表面上のマインドにいすぎるのです。
こうしたら、
好感が持たれるかな?とか、
ほめられるかな?とか、
下手な戦略をめぐらしたり、
結果、
神様みたいに固有の個性(神の知性)が放てずに、
誰かと同じようなふるまいや、
身なりになって、
表面的には、
人畜無害ないい人にはなれますけど、
これでは、
人間にも、神様からも、発見されません。

それだったら、
肉体が有っても無いのと同じでしょ。
と言いたいのです。

人間も「自分自身になる」ということ。
これでいいのです。
何かに遠慮しすぎないことです。

「何か?って何よ?」って感じでしょ。
フン!!

最近、みのり。
ブイブイ言いすぎだな(w)

早く旅行に行きたいね。写真は、ベトナムのハロン湾

旧フルフィルメント瞑想で使っていた、
女神のマントラは、
自分自身で在る事を、
まだ知らない人間よりも
肉体の有無を、退けるほど個性的ですよ。

神意識の象徴ラクシュミ(吉祥天)
という女神の絵は、
宝石をじゃらじゃらつけて、
派手に着飾っていますよね。
これもぼーっと見てちゃダメ。
神意識という、
人間が到達しうる意識の状態を表現しています。

派手じゃなくて、
欲深いじゃなくて・・
繁栄と豊かさの女神だけに、

宝石の中の神の知性と繋がってるから、
ふさわしいものを、
身につけてるだけなのです。
ラクシュミの普段着が、
ドレスに宝石なのです。

瞑想者とは、
エゴを断ち、欲を断ち、
こうあるべき という、
頭で考えた瞑想者の姿に囚われるのではなくて、
内側から動いてくる静寂からやってくる
「動く空」の衝動と、流れていきます。
そうすれば、必ず、
外側の世界に好奇心が向いていくはずです。

自然の美しさであったり、
自分の仕事であったり、
人様の仕事であったり、
それによって形作られた
現象界の物質などですね。
神の知性と、人間の知性の融合です。

ここにまだ興味がむいていかない状態というのは、
「もしかして、自分の「空」がダイナミックに
まだ動いてないのかもしれないぞ!と、
悟りの旅の途中じゃないか?」と、
洞察する事です。

 

うって変わって・・
叡智の女神、サラスワティ(弁財天)は、
全然、違う個性を放ちますよね。

サラスワティの絵には、
いつもお供に白鳥を連れていますけど、
白鳥は、水面を優雅に、動く鳥です。
白鳥と湖の水面は、マインドの鏡の象徴です。
思考をしずめて、マインドの鏡をクリアーにし、
優雅に、空と現象界をつないでいき、
これが統一意識へとむかっていくのです。
これも、人間が到達しうる意識の状態を
表現しています。

神意識の状態は、
エゴが「大きな空」に
飲み込まれた状態から、
質を変えて、
空とともにあるエゴに変化している状態です。

瞑想してない人の話す「エゴ、我欲」
とは、全く違う質のものになっているのです。

「エゴや我欲を捨てろ!」と、
言ってる時点で、その人は、
まだまだ悟りの旅の途中なの。
それを言ってる本人が、
エゴや我欲を捨てる課題がある
というだけの話です(w)

 

だから、「空」の経験が増してくると、
この話を聞く必要なし。
自分自身の方が心の内側の体験は
超えているのだから。

エゴを捨てるとか、我欲を捨てるとか、
考えすぎです。

 

捨てる時は、
自然に捨ててるし、
自然に出る時は
「もうエゴの質が変化している」
が正しいの。

 

だから、何にも遠慮せずに、
自分自身でいることです。

新しいプログラムでは、
最初ステップである、
ラブ・マントラでも、
ブラフマン意識からスタートなので、
瞑想歴が長くなっていたら、
その自分をほめて、たたえて、
信頼して、静寂からやってくる流れに乗っていくのです。

 

いつも真理はシンプルです。
「何かが足りない」
から、瞑想を始めないように。

おさらいに、
伝統的な人間が到達しうる意識の状態を
順を追って書いておきます。

・起きてる時の意識状態
・夢見てる時の意識状態(睡眠時)
・寝ている時の意識状態
・瞑想してる人の意識状態(空の直接経験に限る)
・宇宙意識
・神意識
・統一意識
・ブラフマン意識
・クリシュナ意識

 

ではまた次回は、
発達する神意識の続きがかけるかな?
瞑想会のごはんの事を書くかもしれないね。
今回すっ飛ばしたけど、
神意識の前段階である宇宙意識と
天職の事も
またどこかで書いてみたいと思っています。

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